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2015.12.26up

岡潔講演録(17)


「1969年の質疑応答」

【15】 醜悪極まる間違い

(岡) 葦牙会が行動を起こす。何をやろうと止める訳にいかん。宗教団体であろうと政治団体であろうと何でもよい。それだと「我々にとって」といった方がいい。
つまり、あってなきが如し。あってなきが如しじゃないんです。あれ(日本国新憲法)は初めから間違ってるんです、五尺の体が人ではないんだから。その間違いの基盤の上に立って、不道徳極まることを法律化していったんです、法律文を書いたんです。こんなもの間違いそのものといおうか、不道徳そのものといおうか、名付くるところなし。だから法以下なんです。だからこれは多数決も何もない、何時でも廃棄できる。その点は都合がよい。

 いやあ、こんなこといったっていって僕を処刑したら、これはもう宗教裁判と同じと思う。コペルニクス、地球回るって1人いって、あれは焼殺されたか何か。それと同じなこと。数じゃあないんですその点は都合がよい。いざとなったら、それいい立てたらいい。真という点からいって全然真じゃない、はっきりわかる善という点からいっても全然不道徳だから、あれは醜悪極まる間違いなんです。今、仮に置いておくのは、あれの上に立って生活してる人が大部分です。だから置いておいた方が急にそれを変えることにならないから、それだけの意味以外に何にもない。

(※解説15)

 ここは世界に冠たる「平和憲法」とよくいわれる「日本国新憲法」の正体を、岡がさらけだしたところである。これを読むと一般の人達は唖然とするに違いない。それほど我々と岡との評価眼は違っているのである。

 その違いはどこから来るか。我々は文字を読んで「言葉にだまされる」傾向がある。「平和憲法」と誰かに標語的にいわれただけで、我々はそれを頭から信じてしまうのである。標語は内容のない側頭葉の機会的判断が特徴である。

 しかし岡の場合は数学で使う前頭葉を操って、物事を理学的構造的に見る。つまり、心の構造を最終的に解明した上で、憲法に書かれている世界観は自己本位の「第1の心」から来ている、という風に指摘できるのである。だから「日本国新憲法は醜悪極まる間違いだ!」と自信を持って断言できるのである。

 猶、国防の面からいえば、「平和憲法」とは我が国にとって「平和憲法」ではない。諸外国にとって「平和憲法」なのである。

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