「歌で読みとく日本歴史」
第1部 「明治文学者の心」岡潔著
【2】万葉集
おのづから寂しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿に沈
みぬ
茂吉の歌ですが、これは言葉使いは万葉でも、しかし、
調子がどこやら万葉じゃありません。
うち靡く春来たるらし山の際の
遠き木末の咲きゆく見れば
おのづから寂しくもあるかゆふぐれて
雲は大きく谿に沈みぬ
こう比べてみるとどこやら違います。どこが違うのかと
思ってよく聴いてみますと、茂吉の歌は自他対立している。万葉の歌は決して自他対立してい
ない。それが即ち、自分の喜びになっているのです。
たまきはる宇智(うち)の大野(おおぬ)に馬並
(な)めて
朝踏ますらむその草深野(くさふかぬ)
自分が馬に乗ってパーッと走る。と、それが即ち心の表
れだということになります。ですから自分はここにあって、というのではありません。それが
茂吉の場合は、自分と物とはあっちとこっちにあって自他対立しているのです。茂吉は医者
だったから、よけいそうなるのでしょう。自他対立しますから、どうしても淋しく調子が弱く
なってしまいます。ですから、こんなのはとれない。あと石川啄木ということになるけれど、
啄木になるとますます悲しみの色が濃くなる。
|