「歌で読みとく日本歴史」
第2部 「神代(かみよ)の文化」
「昭和への遺書」岡潔著
【8】植物の喜び
もう一度言うと、たとえば曇り空がふとさけて日がさっ
と射すと、植物の花々が一斎に喜ぶ。そうすると自分が嬉しくて仕方がないのであろう。
然しこの「何となくわかる」という所は人によって相当
差があったであろう。いつも例に引くように、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、自分が
生きていては自分が天皇にならなければならないという理由で、さっさと自殺しておしまいに
なった。無比の崇高さである。これは真我の人でなければ出来ないことである。解脱した人と
いうと一層よくわかるだろうか。勿論仏教はまだはいって来ていなかったのである。だから神
代には真我の人も相当いたと思う。
然し神代の世の色どりは何だか前に言った植物の喜びを
以て言い表わしたい気がする。本居宣長も植物の喜びを以てたとえている。
敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
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