(※解説2)
この芥川の新体詩は岡がよく例にあげるものであるが、概して「大正人」は非常な淋しがり屋だと岡はいう。明治以後取り入れた「唯物主義」「個人主義」がさすがに日本にも浸透し、その時代を先取りした文学者達にその傾向が顕著に表れていたのである。
皆さんはそういう見方で「大正文学」を見たことがおありだろうか。写真でみると何とも淋しげな目をしていて、ついには自殺した太宰治はいうに及ばず 、たとえ自殺はしなくともその「淋しさ」が当時の文学には色濃く現れているのである。岡がよく例をあげるのは次のようなものである。
幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく 若山牧水
からまつの 林を過ぎて からまつを しみじみと見き
からまつは さびしかりけり たびゆくは さびしかりけり 北原白秋
東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ 石川啄木
これが「大正人」の淋しさである。「胸を噛むような淋しさ」だと岡は表現している。
猶、岡はここでは芥川を西洋思想に染って、その結果自殺してしまった文学者の典型のようにいっているが、そもそも岡は若かりし頃芥川によって芭蕉をおしえてもらった(芭蕉雑記)訳だし、その評価は思いのほか高いのである。
岡は未刊の書「流露」の中でこういっている。「芥川は老子のいう『如』を実によく捕えている。私はそれに触れるとほのぼのと嬉しくなったものである。」また最晩年の「春雨の曲」では芥川は漱石と同じく相当高い「第13識」にいるといっている。
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