「1971年度京都産業大学講義録第5回」
【4】 行動的と理性的
戦後に生まれたり、教えられたりした今の人達は、非常に『行動的』です。アメリカの新しい世代も非常に行動的なようだし、欧州に到っては、それまで行動的でなかったんだが、近頃になって非常に行動的になった。
欧州は以前どんなふうだったかと云いますと、日本の教育は明治以後、欧州の教育を真似たんです。そうするとどんな人が出来たかと云うと ― アメリカの教育を真似ると大体行動的な人が出て来た。欧州の教育を真似てた頃はどんなふうだったかと云うと、『理性的』な人。
人には理性というものがある。これを一番大事にしなければいけない。理性至上主義ですね。こういう人が非常に多かった。これは間違ったこと、非常にいけないこと。
それでわたし、アメリカの教育の方がまだしも理性を大事にしないだけましかもしれない、そう思ったんですが。つまり、何か大事なものが理性の代わりにあると云うのではないが、行動的だったら理性を大事にしない。だからましかもしれない。そう思ったんですが。しかしこの行動の本体を明らめなければ、1日1日をどう暮らせばよいかということはわかって来ない。
理性主義と云うのは、理性を裁判官にすること。これは自我が主人公になることの1つの形式です。非常に悪い。理性は召使でなきゃならん。随分多いですよ。例えば学習院長をしていた漱石の弟子だと云う、安倍能成って、ああ云うのを理性主義と云うんですね。あんな石頭は困る。頭なんか無い方がまし。行動主義ったら頭なんか無いんですからね。石頭よりましかもしれないと思ってる。
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