(※解説5)
この「老子の自然学」は、実は胡蘭成がこの時分に「自然学」という本を書いたので、是非岡先生にその序文を書いてもらいたいと岡家に持ち込んだものである。
その中心テーマがこの「老子の自然学」であるが、岡はそれがよほど気にいったとみえて随所でそれを人に語っている。岡にいわせれば、これこそが東洋の自然観だといいたいのだろう。
岡の説明はこうである。中国では「空」ではなく「無」というのだが、その「無」に「息」が現れる。「息」とは振動や波動のようなものである。そうすると第1段階として「生」が生まれるというのである。これが石や水や空気など、いわゆる「無生物」のことである。
老子は「無生物」を「生」というのである。「生」とは「命のあるもの」という意味であるが、これが西洋の自然観とは全く違う東洋の自然観の最大の特徴である。
そういう目で我々の周辺の自然を眺め直してみると、山々は緑に覆われ風はさわやかに吹き、雲はたなびき水はあたかも踊っている。決して死んだ世界とは見えないではないか。
それを老子は「生」というのだが、今世界を覆っている西洋思想はその「生」を命をもたない「無生物」というのが慣しである。彼等は本当にそう思っているのだろうか。我々の実感とは随分隔りがあるのだが、これは環境破壊に直結する思想的大問題であると私は思う。
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