b 岡潔講演録(19):【 8】 大宇宙の主宰性
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2016.08.29up

岡潔講演録(19)


「1971年度京都産業大学講義録第5回」

【8】 大宇宙の主宰性

 で、ビールスと云うのは、生物になろうとして生物に成り損なったものなんでしょう。総ての生物を見ますと、生物と云うのは『全の上の個』です。総ての生物の中核は第2の心。2つの第2の心は不一不ニと云って1面1つ、1面2つ。そんなふうなものだから、総ての第2の心は合一して1つになってしまっている。

 で、生物の心を深く尋ねて行くと、どこ迄がその生物の心であって、どこから共通の心であると云う境目が無い。そんなふうになると云いましたね。だから全の上の個なんです。個であるためには『独自の行動』がいる。

 胡蘭成さんは、ビールスには酵素が無いから独自の生命を、生活を営むことが出来ないのだと云ってますが、ともかく全と関係を絶った個というものは1人では生きて行けないものらしい。生きて行くためには、いろんな良いものが出て来なきゃいけない。もっとわかりやすく云えば、そのからだ全体を主宰する力が働いて初めて生物です。でなきゃ1個の生物にならない。

 ところが『主宰性』はここ(全<編者注>)にあるんですね。だから独自の行動だけでは生物にはなれない。主宰性は大宇宙を主宰しているその主宰性と同じ1つの主宰性が働く。だから全と関係を絶ったのでは主宰性は働けない。で、独自の行動と、独立と云う方にのみ1面に凝ってしまって、全との関係を絶ってはならないと云うことを忘れたもののなれの果てがビールスになる。こういうことになるんですね。

 で、聞けば聞く程、考えれば考える程、今の世界の若い世代の行動はビールスに似てる。自分のからだを主宰しているものは自我ではないと云うことを知らない。独自の行動は自我で起こすことが出来る。しかしからだを主宰することは自我には出来ない。

 そうでしょう。自我に出来るのは、小便がしたいと思ったら小便に行くという、そして小便が上手く出れば快感を感じると云う、そんな浅いところだけでしょう。もっと深いところ、からだの細胞を主宰してる力が別に働いてるから1個のからだとして生き続けてるんでしょう。非常にビールスに似てる。自我にからだが主宰出来ますかそれが人の分際なんです。

(※解説8)

 以前にも触れたのだが、我々日常の人間活動というものは、よく見てみると丸で透明な車に乗って走りまわっているようなものである。アクセル、ブレーキ、ハンドルを操作すれば我々の体は自由に動くし、体の維持も自然にできている。しかし、我々は日頃仲々そのことに気がつかない。

 それはなぜかというと、「独自の行動」を起こすことができる第1の心は「意識を通す心」であり、この心は自分自身にもよくわかる心であるが、「全の上の個」の第2の心は「意識を通さない心」であるから。

 つまり、これが一般によくいわれる「無意識」ということであるが、実はこの「無意識」の存在範囲は我々が考えている以上に広大なのであって、岡はこれ以後その世界を次から次へと探っていくことになるのである。

 例えば「独自の行動」は第7識ということであり、我々がよくいう「潜在意識」が第8識ということであり、「全の上の個」とは第9識ということであり、岡はその上に第10識「真情の世界」を発見するのであるが、ここでいう「大宇宙の主宰性」はとてもそこまでだけでは説明しきれないのであって、岡は晩年「造化」という言葉をよく使う。一切生物を生み育て維持し進化させる「実体」という意味である。

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