(※解説16)
ここが冒頭の問題「人は1日1日をどう暮らせばよいのか」に対する岡の結論である。西洋心理学でいうところの、あくまで自己中心に考える「自我」を離れることが、「人の生きる喜び」につながるのだと岡はいいたいのである。
ここではその状態を「無我」とか「無私」とか「無心」とかいっているが、別の角度から見ればこれは「人のために働くこと」である。日常的には「人に親切にすること」であるし、「人を先に、自分を後にすること」でもある。昔の人は「外に春風、内に秋霜」といったものである。
たとえば、日本には昔から「世話好き」の人がいたものである。若い男女を結びつける仲人役の上司も会社には必ずいた。政治家は「井戸塀」といって、井戸と塀しか残らないくらい政治に財力を注ぎ込む人もいた。
私の身近では、金に困っている人を見過しに出来なくて、自分の財産を擦り減らしてしまう人もいた。職場の中や友人のことが気にかかって仕様がない世話好きの「おばちゃん」もいた。実は私も人に喜んでもらえる「差入れ」をするのが大好きである。
そういう人に何らかの形で尽そうとする人が、本当は幸せなのだと私は思う。「生きる喜び」はそういう「自我を離れた」日常的なところから生まれてくるのではないだろうか。
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