(※解説13)
「六道輪廻は天眼という眼で見える」という風に岡はいっているが、その「六道」は今の我々には甚だなじみの薄いものである。しかし、これも心理学的に「知情意」で説明できるのである。特に天道、人道を除く四悪道を対象にとってみる。
先ず修羅道であるが、修羅道はこの世は本来激しい闘争の世界であるというのである。真我の世界から見ると、この世は助け合いの世界であるが、その逆である。この対立、競争、闘争は「意志」の世界であるから、修羅道とは「意志の異常」の世界なのである。
次の畜生道であるが、これは目にみえる動物界のことである。しかし心理学的に見れば、後に出てくると思うが哺乳類の特徴である、自分と自分の家族以外に対しては全く無関心であること。徹底した「マイホーム主義」のことである。
人は本来わけへだてなく人の喜びを喜びとし、人の悲しみを悲しみとするものであるが、その感性が全く働かないのである。だからこれは「情の異常」といえるのである。
次は餓鬼道であるが、岡はある録音でこういっている。「いま金餓鬼、ボス餓鬼が非常に多い。大抵、金餓鬼、ボス餓鬼は色餓鬼を兼ねています」と。笑ってしまいますが、これは小我の価値観(知)である金銭欲、権勢欲、性欲を人生の最大の目標とすることであって、これを岡は「知の異常」というのである。
最後に地獄道であるが、これは一言で「知情意の全てにわたる異常」といえるのであって、特に「非情」と「残酷さ」がその特徴である。
猶、天眼であるが、ここで岡は「高僧達が、天眼によって、実際に御覧になった」といって、天眼を相当高い能力としているようだが、これより4年後の1971年には大分ニュアンスが変わってくる。次にそれをご紹介する。
「葦牙」第4号より。
(質問) 魂というのは、特殊な能力を持った人に見えるのですか。
(岡) 天眼で見えます。そんなに高い能力ではありません。あれは極低いものです。
(質問) 透視というのがありますね。
(岡) 天眼です。ああいう動物的能力を喜ぶ癖が人間にある。それが迷信をはびこらせる。困ったことです。
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