(※解説12)
岡は教育者としては吉田松陰を最も高く評価する。岡が最晩年提唱した「春雨村塾」の命名は明らかに、自身の「春雨の曲」と松陰の「松下村塾」の併用である。ここに中国人、胡蘭成と岡との「松陰」についての対談の記録がある。
(胡) 私はやはりこれは政治の課題であると思います。国民大衆の教育を改革するというより、先ず先知先覚の士を育成すべきである。
(岡) ともかく、悟り得るものを悟らせればいいんでしょう。
(胡) そうですね。孟子がいう、政治は先知先覚によって行い、国民は後知後覚ですから、先知先覚に教わる他にない。明治維新のとき、吉田松陰が国民大衆を教育するなんてしませんよ。士を養う、十何人。その十何人ができたら政治は変わる。政治が変わったら国民の教育の質と制度はいっぺんに変わる。先に教育を改革することはできません。
(岡) 松下村塾ですが、あれは悟り得るものに悟らせたことと、もう1つは、教えたのは方法じゃない、直接行動を教えた。
(胡) あの教え方が非常に高い。
(岡) 直接行動を教えたんですね。まあ今の若い人は、教えなくても直接行動(学生運動)をしそうな形勢ですね。
(胡) 直接行動とはまず政治の維新行動のあり方ですね。吉田松陰はこれを少数の人に教えた。岡先生のも、先知先覚を育成するにはふさわしいが、国民を教えるには全然不向きといえる。
(岡) そうですね。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 吉田松陰
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