okakiyoshi-800i.jpeg
oono-011s.jpeg
 2012.11.08 up

岡潔講演録(3)


「一滴の涙」 岡潔著

【6】 数学の使えない世界

この、第2の心の世界ですが、二つの第2の心は二つとも云える、一つとも云える。

不一不二と云うんです。不一不二と云ったら二つとは云えない一つとも云えないのですが、この自然と自分とは不一不二、他人と自分とも不一不二、こう云う風。

この第2の心の世界はその要素である第2の心は二つの第2の心が不一不二だと云うのだから数学の使えない世界です。又この世界には自分もなければ、この小さな自分ですよ、五尺の体と云う自分もなければ、空間もなければ時間もない。時はあります。現在、過去、未来、皆あります。それで時の性質、過去の性質、時は過ぎ行くと云う性質はあります。しかし時間と云う量はありません。そんな風ですね。自分もなければ空間もなければ時間もない。その上数学が使えない。物質はここから生まれて来て、又ここへ帰って行っているのだと云う意味になることを、山崎弁栄上人が云って居られる。

そんな風に不一不二だから目覚めた人はこんな風になる。

花を見れば花が笑みかけているかと思い、鳥を聞けば鳥が話しかけているかと思い、人が喜んで居れば嬉しく、人が悲しんで居れば悲しく、人の為に働くことに無上の幸福を感じ疑いなんか起こらない。こんな風です。

(※ 解説8)

岡先生のこの時期の色紙に意味深長な「数は量のかげ」というのがある。また、数学は自然数の「1」が決してわからないともいっているし、その結果として「1」とは「情緒」であることを後に発見する。そういえば「一滴の涙」もそうであるし、「流露」という言葉もこの頃よく使っていた。

そういうことから何を連想するかといえば「流体」である。これが心の世界を解明するキーワードなのである。そして、知情意という心の要素の中では、「情」のみがこの「流体」なのである。ここから「情の世界」の発見が生まれてくるのであるが、この「一滴の涙」は「情の世界」を発見する一歩手前の大変貴重なお話である。

最後になるが、「目覚めた人はこんな風になる」が岡潔が何度も語った人の理想の姿である。日本人はこの理想に最も近い民族ではないだろうか。

Back


岡潔講演録(3)一滴の涙 topへ


岡潔講演録 topへ