「自然科学は間違っている」(1) 岡潔著
【 4】 自然科学と生命現象
ところで、自然のできるだけ簡単な模型を考えて、その中を科学するということは、知ってやってるのだとすれば確かに一つの研究方法に違いない。知らずにやってるんですけど、それでもある結果は出るだろう。そうは思います。しかし、こういう簡単な模型の中だけを調べたのでは、わかるものは物質現象だけで、生命現象はとてもわからないのではあるまいかと、こういう疑いが起こります。それで自然科学に聞いてみましょう。
人は生きている。だから見ようと思えば見える。何故であるか。自然科学はこれに対して本質的なことは一言も答えない。
余計なことはいっています。視覚器官とか視覚中枢とかいうものがあって、そこに故障があったら見えないという。故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられないのです。
人は立とうと思えば立てる。この時、全身四百いくつの筋肉が突嗟に統一的に働くから立てるのですが、何故こういうことができるのか。これに対しても自然科学は本質的なことは一言も答えられない。
人の知覚、運動、どれについても本質的なことは一言も答えられない。知覚、運動というのは生命現象の「いろは」でしょう。もすこし突っ込んだものを申しましょう。
人は観念することができる。観念するというのはどういうことをいうのか。一例として、哲学することができる。何故か。自然科学は勿論、一言も答えられない。
人は認識することができる。何故か。これに対しても一言も答えられない。人は推理することができる。何故か。これに対しても一言も答えられない。それじゃあ一番簡単に、人は感覚することができる。何故か。これに対してすら自然科学は一言も答えることができない。
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