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 2012.12.12 up

岡潔講演録(4)


「自然科学は間違っている」(1) 岡潔著

【 8】 個人主義と物質主義

そうすると人が現実にその中に住んでいる自然は、単に五感でわかるようなものだけではなくて、無差別智が絶えず働いているような自然でなければならない。

ところが無差別智というのは個に働くのです。だから無差別智の働きというと個の世界の現象です。しかし個の世界は二つの個が一面二つであり、一面一つでなければならない。こういう世界です。だから個の世界は数学の使えない世界です。。

これに反して、物質的自然は数学の使える世界です。だから人は物質的自然には住んでいないのです。

物質さえわかれば全てわかるという考え方、間違ってますが、これを物質主義といいます。また肉体とその機能とが自分であると、そういいましたね。肉体とその機能とが自分であるというのも間違いですね。まあ間違ってるとはっきり言えないまでも、自然科学の間違いから来てるということでしょう。これを個人主義というのです。

肉体とその機能とが自分であるというのが個人主義、物質がわかれば皆わかると思うのが物質主義。どうも物質主義、個人主義が間違った思想の基だと、そう思います。

で、自然科学は間違っている。それから仏教はどういうか一応聞きました。この後、自分の目で見、自分の頭で考えて行ってみる。

(※ 解説9)

個人主義とは目に見える肉体が自分だと思うから、人と人とは本来何のつながりもないという思想です。だから西洋でよく使う「連帯」という言葉は、そういうニュアンスから出た言葉です。しかし、東洋の仏教では人と人とは心(第9識)でつながっているから、本来赤の他人というものはないのだと説くのです。

一方、物質主義は自然科学の基本理念ですが、極微の素粒子の世界を見ても、極大の天文学を見ても、「不生不滅の物質がある」という大前提が怪しくなってきています。また何の命ももたない物質というもので宇宙が構成されているということ自体、死の世界を意味するものであって、我々の素直な直観とは逆行します。

老子の自然学では、無生物であるはずの物質のことを「生」と表現しています。我々日本人が古来、大自然に対して手を合わせてきた見方と全く同じです。それがよく現れているのが、日本では万葉の歌であり、芭蕉の俳句なのです。日本人の人間観や自然観は、21世紀以後の世界をリードする人類にとって大変貴重なものなのです。

岡の思索と膨大な言葉の数々は、それを実現するために後世の我々に遺されているのです。

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