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2014.07.01up

岡潔講演録(11)


「自然科学は間違っている」(4)

【2】 刹那生滅(せつなしょうめつ)

 西洋は物質が基だと考えているから、その考えに導びかれて自然を科学すると云うことを始めた。ところが、ガリレオから数えて500年近く、自然を科学した結果は次の結論に達したのである。すなわち、素粒子は生まれて来て、またすぐ消えていってしまっている。

 これはもはや、専門家の手を離れて一般の思想になっている。例えば、岩波新書の「素粒子」(湯川秀樹他2名の共著)が出ているが、そこにもそう云っている。生まれて来てすぐに消えていってしまうのを刹那生滅(せつなしょうめつ)と云う。

 ところで、人が普通使うものに理性と五感の2つがある。この理性と五感の2つのうち、もし五感の方を理性の上位に置くとすると、その知は本質において犬や猫の知と同じである。従って、理性を五感の上位に置かなければならない。理性を五感の上に置いてこの結果を見ると素粒子は刹那生滅。それなら自然も刹那生滅。

 テレビは視覚と聴覚の2つの感覚に関してだけのものである。外界は5つの感覚全てについてのものだから完全さは少し違う。しかし、質的に云って同じものである。つまり外界、自然と云うものは映像に過ぎない。ビジョンである。存在ではなく、幻の如きものである。現われてはすぐ消えていく。

 素粒子は短いのは1兆分の1秒で消える。非常に長命だと云われているものでも、それの100倍の100億分の1秒で消える。五感ではとても分からない。するとこれは映像、幻の如きものである。

 自然が映像なら実在のものではない。それなら自然科学と云うものもあり得ない。だから、この結論を出すことによって自然科学は終止符を打った。このことが一般の思想になってからでももう10年には十分なる。専門家が知るようになってからだとどれぐらいになるか分からない。

(※解説2)

 これも一般の人には甚だ極論かも知れないが、「自然は実在ではなく刹那生滅である」とはっきり明言している人は、世界広しといえども光明主義の山崎弁栄上人と岡潔の2人だけだと、岡自身がいっている。

 私から見ても東洋思想の代表的なもの(神道、仏教、儒教、老荘、ヒンズー教等)は程度の差こそあれ、その事実に気づいているように思う。

 そして、弁栄と岡は凄まじい直観力でその事実を見抜いたのだが、当の自然科学自体も科学的、実証的、精密的に自然を調べていった結果、誠に皮肉なことにその2人と同じ結論を導き出してしまったのである。これは取りも直さず、自然科学の「自己否定」ということである。

 「自然科学がこの結論を導き出すのにガリレオから数えて500年かかった」、そして「この結論を出すことによって自然科学は終止符を打った」と岡はいうのだが、その自然科学にドップリと浸かっている我々現代人は、果たしてその結論を肯定することができるだろうか。

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