「自然科学は間違っている」(4)
【2】 刹那生滅
西洋は物質が基だと考えているから、その考えに導びかれて自然を科学すると云うことを始めた。ところが、ガリレオから数えて500年近く、自然を科学した結果は次の結論に達したのである。すなわち、素粒子は生まれて来て、またすぐ消えていってしまっている。
これはもはや、専門家の手を離れて一般の思想になっている。例えば、岩波新書の「素粒子」(湯川秀樹他2名の共著)が出ているが、そこにもそう云っている。生まれて来てすぐに消えていってしまうのを刹那生滅()と云う。
ところで、人が普通使うものに理性と五感の2つがある。この理性と五感の2つのうち、もし五感の方を理性の上位に置くとすると、その知は本質において犬や猫の知と同じである。従って、理性を五感の上位に置かなければならない。理性を五感の上に置いてこの結果を見ると素粒子は刹那生滅。それなら自然も刹那生滅。
テレビは視覚と聴覚の2つの感覚に関してだけのものである。外界は5つの感覚全てについてのものだから完全さは少し違う。しかし、質的に云って同じものである。つまり外界、自然と云うものは映像に過ぎない。ビジョンである。存在ではなく、幻の如きものである。現われてはすぐ消えていく。
素粒子は短いのは1兆分の1秒で消える。非常に長命だと云われているものでも、それの100倍の100億分の1秒で消える。五感ではとても分からない。するとこれは映像、幻の如きものである。
自然が映像なら実在のものではない。それなら自然科学と云うものもあり得ない。だから、この結論を出すことによって自然科学は終止符を打った。このことが一般の思想になってからでももう10年には十分なる。専門家が知るようになってからだとどれぐらいになるか分からない。
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