「自然科学は間違っている」(4)
【10】 自然を科学するとは
自然を科学するとはどう云うことかのべて見よう。第1の心に働く知力を20世紀の人は理性と云っているので私も理性と云うことにする。そして理性だけを使って事実を知ることを科学すると云った。
では東洋の大先達たちはどうしたかと云うと、第2の心に4種類の智力(知・情・意に働く力)が働くのである。これを無差別智と云う。大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。
大円鏡智とはどんな智力かと云うと、知の方面について云えば、現在、過去、未来は現在の一位に住し、その現在は一目瞭然であると云われている。そこで現在は一目瞭然であると云う実例を1つあげてみよう。
弁栄上人の信者が上人に、自然科学全書と云ったような内容の本を差し上げた。上人はその大部の本を左手に持って、右手の親指を本の腹に当てて、ピィーとページを鳴らされた。その信者は「お上人、何をなさったんですか」と聞いた。そうすると上人は「はい、これですっかりわかりました」と答えられた。あまりの不思議さに、お許しを得て、あちらを聞き、こちらを聞きして見ると、その術語に対して皆すらすらと答の方を答えられた。これは報身大円鏡智の働きである。
4種類の無差別智を四智と云うが、この四智が全く働かない人、つまり五感と理性しか働かない人を凡夫と云う。凡夫には想像もつかないものらしい。欧米人は皆凡夫である。東洋人も凡夫の方が多い。従って、このような直観を使って知った結果をいくら説いてもなかなか信じられない。弁栄上人は信じさせようとして大円鏡智をお見せになったんだと思う。だから見た人は信じられる。しかしそうでなければとても信じられない。
ところが500年近くもかかって、自然は刹那生滅であると云うことを、しかも予想したのとは反対の結果を出してしまった。こんなことは凡夫でなければとても出来ないことである。そしてこれを西洋人がやったと云うことは人類にとっては大変意義のあることである。今後は東洋人も自然は刹那生滅であることさえ信じられたら、あとは信じられる。仏教、その他大先達たちの云うところは大分信じるようになるだろうと思う。
しかし黙って放っておいたらいつまでたっても分からない。まずイギリスのトインビーのような人に知らせようと思う。
ところで理性しか使えない人は、四智のような直観を使って真理を知ることを宗教と云っている。しかしこれは宗教ではない。もっと立ち入れば宗教になるかも知れない。この辺までなら実際にそうであることを直観によって知る。理性によっては分かりはしない。大円鏡智なら500年もかからない。一瞬で分かる。
|