okakiyoshi-800i.jpeg
2013.8.26up

横山賢二 新聞記事


【2】世界の危機と自我思想

高知新聞 1992年(平成4年)3月20日(金曜日)

 

 今の経済学説は拡大生産が至上命令である。我々の生活は「便利、快適、豊かさ」を目指してばく進している。経済活動が拡大すれば必然環境問題に響いてくる。今や地球規模で自然破壊が進行している。

 経済活動は本来人間のためにあるはずである。それが人間の存在自体を足元から揺さぶっている。まるでわれわれは自分で自分の首を締めているようなものである。なぜこんなことになるのだろうか。

 この「便利、快適、豊かさ」は刺激の一種である。刺激は「飽きる」という属性を持っている。「飽きる」からますます強い刺激が必要になるのである。実際、戦後、日本は空前の経済発展を遂げたが、今の生活に本当に満足している人はどれだけあるだろうか。ただ刺激の階段を上がり詰めただけではないだろうか。

 この刺激を感じる主体が、いわゆる「自我」である。今では一般的に人とはこの自我のことであるとなっているが、これは戦後アメリカより思想的に取り入れたものである。戦後の日本社会が急激に変わったのは、この自我思想を採用したに起因する。

 このように西洋では自我思想が底流にあるため、自分と人とは赤の他人だし、自分と自然とも同様である。だから社会を管理し、自然を開発し、利用しようとする態度をとる。しかし、東洋ではそうではない。この自我よりも深い心があって、人も自然もこの深い心を共有する存在だということに気付いている。人は自然を開発利用するのではなく、自然に温かく抱かれ恵みを受けて生きているのだという思想をはるか昔より持っている。東洋に自然破壊がなかったのはこのためである。

 今、世界が危機にひんしているのは、この西洋型自我思想が世界を覆ったためであるというのは言い過ぎであろうか。

Back Next


横山新聞記事topへ