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横山賢二 新聞記事


【9】老子の自然学に耳傾けよう

高知新聞 1993年(平成5)年6月15日(火曜日)

 

 今日、我々の社会は自然科学によって急速に進歩しております。それなら、われわれの生活はますます住みやすくなっていくはずです。が、実際はそれとは正反対、人類の存在自体に不安の声が上がっております。一体、どういうわけか、中国の聖人、老子様に聞いてみました。

 自然は大きく分けると三段階にに分かれる。第一段階として「生」と名付ける。第二段階として「命」と名付ける。第三段階として「悟」と名付ける。自然はこの「生・命・悟」の現れであると。

 これだけでは何のことだかよく分かりませんから、もう少し聞いてみますと、「生」とはそこら辺の石ころや水や空気など、いわゆる無生物のことである。「命」とはこれこそ生きている動植物のことである。「悟」とは万物の霊長、悟った者、つまり人のことである、と。

 ここに問題があります。老子は無際物を「生」と言っております。死んだ物だとは思っていません。そう言われて、改めてこの自然を眺め直して見ますと、なるほど、この初夏の光の中で山々は緑に覆われ、風はさわやかに吹き、雲はたなびき、水はあたかも躍っている。決して死んだ世界とは思えません。

 ニュートンからこの方、自然科学は急速に進歩しましたが、いずれも自然を命を持たない「物質」としてとらえております。人は自然を開発利用するのではなく、自然に温かく抱かれ恵みを受けて生きているのだという思想をはるか昔より持っている。東洋に自然破壊がなかったのはこのためである。

 ここが東洋と西洋の分かれ道です。時代が行き詰まった今日こそ、老子の自然学に耳を傾けるときではないでしょうか。

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