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横山賢二 新聞記事


【10】日本の伝統はどこに消えた

高知新聞 1994年(平成6年)1月18日(火曜日)

 

 新年を迎えました。お正月は何となく良いものです。日本の伝統が、このお正月のしきたりの中に今も色濃く残っています。家々の玄関には門松が飾られ、昔ならばカルタ取りやら羽子板に、子供達の歓声が上がり、大人たちもそれを見ては心が和んだものです。

 ところが、どうもこの日本の伝統というものが、今の日本人にはねじ曲げられて理解されているように思えてなりません。例えば右翼とか軍国主義とか言う言葉にそれが表れております。果たしてそれほど物騒なものでしょうか。その辺を少し考えてみます。

 まず、資本主義のモットーは自由競争といわれます。一方、共産主義の原理は階級闘争です。自由競争といえば聞こえは良いのですが、し烈な競争に変わりありません。階級闘争というとこれも読んで字のごとく闘争に変わりありません。

 いずれの言葉にも、「争う」という字がついています。これこそ物騒な話です。そうすると、西洋社会は人と人との関係を、「争い」から出発するものと考えているのでしょうか?

 一方、日本の伝統とは何でしょう。一言でいえば、「情」だと私は考えます。「情」とは人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみとする心という意味です。

 日本の古典をひもといてみますと、古事記、万葉集、芭蕉は、この心で書かれたものであることが明白ですし、テレビの時代劇を見ましても、以前の日本人は、これによってつながっていたのだということが分かります。

 日本本来の伝統には、「争う」という言葉はありません。聖徳太子も、「和を以(も)って貴しとなす」といみじくも言われております。

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