今、ちまたにはびこっている競争原理とは「公平な条件のもとで自由に競争することが人や社会を進歩させる」という意味ですが、皆さんは本気でこれを信じているのでしょうか。
「公平な条件のもとで」というのは大変結構なことです。しかし、その次。お互いに競争し合って勝った者はよいでしょうが、負けた者はどうなるのか。負けた者は「生き残れない」というのが原則です。今、社会から、特に教育界からはそういった子供達の悲痛な叫びがしきりです。
私は自由競争を掲げる近代民主主義とは、すべての人の生存を保証するものと思ってきましたが、随分勝手が違ってきています。これは「公平な条件」という所へのみ目が行ってしまって、「どれほど容赦のない競争であるか」という大前提には目をつぶってしまっているためではないでしょうか。
例えば、この競争を二人でやりますと、共倒れが関の山です。一人が倒れて他方が無傷とはいきません。米ソの軍拡競争を見てください。また、これを百人でやりますと、九十九人は敗北者です。これは今の受験戦争をみれば分かります。
どうして公平な条件でさえあれば、とことん競争し、痛めつけ合わなければならないのか。人や社会の本当の在り方はこれとは全く逆で、人はそれぞれ境遇や立場で公平な条件とはいかないが、共に助け合って生きていこうとはなぜ思えないでしょうか。
これからの社会は人に勝って自分は喜ぶ「競争原理」ではなくて、自分に勝って人を助ける「向上原理」でなくてはならないと思うのです。
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