対談 小原實晃・横山賢二 第1部 「情の世界と物理学」
【2】 モナドとイデア
(横山) ハハハ、どうなるかなあ。この本はライプニッツのモナド論をベースにしていますか。モナドといったらイデアと同じものですか、それとも違いますか。
(小原) えーとね、まあ同じものって―同じものではないですね。モナドというものはですね、各々の人が固有時間をもって1つの世界を造っている。そこから見て行動しているんだということ。だから一人一人の魂といいますか、人間がモナドになっているということなんです。だから物理現象を解明していく時に、ある法則を解釈する時に、全く別の解釈をしている物理学者がたくさんいて、それはそれで価値があるんだという立場に立ってますね。
(横山) イデアというのは、客観的なものがあるというのがイデアですね。
(小原) ええ、イデアは客観的なものが必ずあると信ずることがイデア主義といってるんですね。
(横山) イデアはギリシャの誰でしたかね、プラトン。
(小原) ええ、プラトンですね。つまりモデルというものがあるんだということをいう訳ですね。一種の完全主義ですね。完全なものが存在するんだと、まだ人間は不完全だけれども、完全に向かって努力していくプロセスが人生だという風な見方をする訳ですね。現実の世界はイデアの影だという訳です。それがイデア論。
で、岡先生が「不定域イデアル」という概念をもった時に、そのイデアルという言葉を使ってますね。そのイデアルというのが数学に「イデアル論」という分野があることはあるんですが、それはともかくも理想を追求するという数学の理論なんです。だからイデアルというんです。
つまり例えば整数という、現実に存在すると思われている数の世界がありますね。その数の世界の中で謎がいっぱいあるとしますよね。ところがその謎を解くにはイデアルという全然目に見えてない数があって、その数を使えばその謎が解けるという立場なんです、イデアル論というのは。
だから岡先生が多変数解析函数の中にある様々なモヤーッとしてる景色ですね。それをはっきりさせるにはやはりイデアルを使わなければいけない。つまり完璧な世界はあるはずなんだという立場で、不定域イデアルという理論を造るんです。それで解けてしまう。
その世界から見ると解ける。それがまあ「上空移行の原理」、上から見ると全部見えてしまうじゃないかという解釈なんです。謎を解明する、謎の正体を理解するためにイデアの世界から見るという理論がイデアル論。
(横山) 一段高い所から見ればわかるということですね。その見方ですよね。岡は「高い山から谷底見ればウリやナスビの花盛り」という言葉を春宵十話に書いていますが、あの見方でズーッときたし、その自分の立ち位置をドンドンドンドン上へ上げていこうという風にやってきたのが岡の人生なんですね。
(小原) そう、そう。それはやはり真情の世界から見ると、全てのことが解明できるというところに行き着くわけでしょうね。
(横山) しかもシンプルに解明できる。
(小原) シンプルに本当にシンプルに、真理は本当にシンプルなものだという大確信ですね。もう疑いようのない確信ですね、本当にシンプルな。
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