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2018.05.11up

横山講演録(4)


対談 小原實晃・横山賢二 第1部 「情の世界と物理学」

【5】 宇宙論の変遷

(小原) まあ、そういう解釈でもよい。その世界を創造したのがリーマンなんですよ。アインシュタインとミンコフスキーが宇宙のことを考えた時に、どうしてもリーマンの考えた幾何を使わなきゃいけなかった。

 だからリーマンは観念の世界で、そういうことを想像してみたんでしょう。空間というのは時間と位置座標の4次元でグワーンとねじれてるのが宇宙なんだ、という風なことを想像してあの本を書いたのだと思います。「幾何学の基礎をなす仮説について」という本。あれがリーマン幾何ですからね。

 そこで見なければいけなくなった。だから彼等が使ったのは最終的にはリーマン幾何なんです。だから岡先生はあの本を読んで、こういうことを恐らく考えたんでしょう。リーマンはどんな世界を想像しているんだろうと、容易に前に進めなくなったんだろうと思います。

 だからリーマンは恐らく起天才なんでしょうね。もう200年も前にこんなことを考えている訳です。宇宙空間というのは非常に相対的なものであって、時空がグワーンとゆがんでいるようなこんな世界、つまり多次元世界を考えた。4次元じゃないんです。リーマンの考えたのはN次元といっていますから。

(横山) そうですか。じゃあ合いましたね。物理学と岡の心の構造とは共通点が出てきましたね。そうしますと天外さんがいうには、宇宙には目に見える物質の世界ともう1つ目に見えないがネガフィルムの世界というものがあるから、この物質の世界は存在するのだという理論を持ってるんですが、それはどうなんですか。

(小原) はい、それはこうなります。それは次の話になりますが、それが非常に重要でして、ここ(アインシュタイン時空)から素粒子を見た人がいるんです。ここ(ベルクソン時空)へ行く前に、この世界(アインシュタイン時空)から物質現象を見た人がいるんです。これはディラックという人です。

 物理現象をみる時に、ここ(ニュートン時空)から見なかったんです。ここ(アインシュタイン時空)から見たんです。シュレーディンガーもハイゼンベルグも、量子力学でノーベル賞を取った様々な人も、ここ(ニュートン時空)から素粒子の動きを説明したんです。ところがそれで解明できないものがいっぱいあるんですね。で、勇気をもってディラックはここ(アインシュタイン時空)から見ようとするんです。

 ここから見ようとした人がもう1人おります。日本の湯川(秀樹)さんです。湯川さんは素粒子の動きをここ(アインシュタイン時空)から見るんです。それで湯川さんはここ(アインシュタイン時空)で妙な素粒子を発見する訳です。ハイゼンベルグが絶対認めなかった「中間子」という、そこから素粒子論が始まる。

 ところがディラックは何を見たかというと、反物質の世界を発見するんです。ここに地球があるとすると反地球が必ずあるんだということを発見するんです。だからこの続きからいうと、この世界からみて様々な量子を解明していった時に、湯川さんは素粒子の世界を発見します。それまでは素粒子という言葉はなかったんです。素粒子の存在。

 それまでは原子と原子核をつくる陽子というものしかなかった。中性子さえ発見されてなかった。ここ(ニュートン時空)から見てる限りは3つしかなかった。ところが湯川さんはここ(アインシュタイン時空)から見ることによって、様々な素粒子が存在するということがわかった。先ず一番最初に発見したのが中間子。で、ノーベル賞をとる訳です。ディラックは何を見たかというと反物質の世界をみた。

(横山) 反というのは反対の反ですか。

(小原) そう、反対の反。

(横山) それは大体、何年ですか。

(小原) ディラックは1928年。湯川さんが1930年ぐらいですね。ほとんど同時です。で、反物質ですから、例えばここに電子があるでしょう。必ず反対の電子がそのそばにいるんです。だからここに目に見えている宇宙といわれてるものがあれば、反宇宙が必ずあるということがこれでわかるんです。

(横山) ああ、そうですか。28年ですか。大分前ですね。この天外さんがいうにはデビット・ボームという人、この人がホログラフイー宇宙モデルというそういう風な理論を出した。これは最近の人ですね。

(小原) ボームという人はもっとあとの人で、おそらくディラックがここでノーベル賞をとったあと反宇宙論というのを考えはじめた。アインシュタインの宇宙論とからめて。このボームもノーベル賞をとりましたよ(編者注:ボームはノーベル賞受賞者ではない)。おそらく1940年くらいです。第2次世界大戦が終ったころです。だから湯川さんがノーベル賞をもらったのも、発表してから17年たった時です。その頃だと思います、40年代だと思います。もっとあとかも知れません(編者注:1949年に受賞)。

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