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2018.05.11up

横山講演録(4)


対談 小原實晃・横山賢二 第1部 「情の世界と物理学」

【12】 第10識「真情」

 (横山) その点は大変重要でしょうね。大体3つの要因があるんです。1つは先程いった胡蘭成が「知が大事だ」といったことからわかってきたこと。2つ目は「人間の建設」でいってますが、知の根底に情があることが専門の数学からわかってきたこと。

 そして決定的なのは孫の「始」が生まれてきて、その「始」の心の生い立ちを連続的に観察して、東洋でいっている真如(第9識)の奥にまだ深い心があるとわかってきたこと。主にこの3つの要因からでしょうね。

 ところでもう1つ重要なことは、アラヤ識とは私の心の構造図でいえば「意」の世界でしょう。意というのは深い意ですね。第9識というのは、これは「知」の世界ですね。法則というのは知の世界ですね。

(小原) だから知ったからといって、それが社会や人生に生きてこない訳なんです。

(横山) ええ、そうです、そうです。

(小原) だから悟りを開いた仏教者達が、大した世界平和に貢献できないのはそこなんです。そこまで行っているんだけども、そこでの認識。つまりつながっているんだ、人類は同根なんだという、それが生かせないんです。そこを生かすためには、知の世界を生かすにはもう1つのエネルギーが要るんだと思ったんじゃないですか。

(横山) ええ、ええ、そうでしょうね。

(小原) それが岡先生が当初からいっている何というか、あの深い悲しみをたたえたような「情の世界」というものがなければ、その第9識を生かせない。だから仏教者達が達人になればなるほど薄情になっていくのは、そこに限界があるんだと。

(横山) 相当な限界ですよね、コペルニクス的転換というくらいの。

(小原) あんなに深いところまで、第9識まで行ってる人が何の働きもしないじゃないですか。ということは情の世界、情緒の世界がないからですよ。そこから悲しみを感じる震えるような情というものがあればこそ、第9識で悟った知恵を生かすことができるんではないですか。喧嘩するなよ、争うなよ、みんな同類なんだよ、何しろ1つなんだよ、という風にいえるじゃないですか。

(横山) 実感が湧くんですね。

(小原) 彼等はそれがいえないんじゃないですか、そこまで悟っているのに。

(横山) また、不純物も出てきましたからね。悟った者は偉いという「偉さ」をいうとか絶対的な「権威主義」、その不純物が出て今の宗教というのは限界にきてますよね。

(小原) 仏教だって終ってしまったじゃないですか。

(横山) だから我々日本人が、これからそういう風な世界観を人類に提供していかなきゃいけない訳ですね。これ(第10識)を岡ははじめて発見した訳ですから、それをこれから全世界に広めていこうと、今我々はその準備をしているということになる訳です。

(小原) たださっきその第10識の必要性という、言葉はちょっと軽い言葉なんですが、第10識に至った岡先生の気持ちというのを詳しく説明して、仏教で悟りを開いた人々が何の世界平和にも貢献できなかった限界というものを、文章にしておいて頂けると非常にわかりやすいんですけどね。

 横山ダイアグラム(心の構造)の図で、第10識のところに認識、自覚がないと高度な悟りというのが何の力も発揮できない。仏教は知の世界で満足してしまって、ただ薄情に日々を送ってるだけじゃないですか。

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