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2018.05.11up

横山講演録(4)


対談 小原實晃・横山賢二 第1部 「情の世界と物理学」

【13】 日本人の直観

(横山) 人間観からいえば、そういう風な人間観ですよね。が、一方でさっきいっていた物理学の方面の自然観の方からいえば、第8識といえば「意」の世界でしょう。第9識は「知」の世界でしょう。で、「意」というのは別の表現をすれば「エネルギー」といってもいいと思うんです。

(小原) でしょうね、ええ、ええ。

(横山) 「知」は何でしょうね。当然、これは「法則」ですね。で、エネルギーと法則で自然界を説明しようというのが現代物理学でしょう。ところがエネルギーと法則だけでは、これはまるで物質の世界、死の世界じゃないですか。

(小原) だから、その物理学が悪用されていくんです。

(横山) そうです、そうです。だから我々がこの自然を見た時に、法則とエネルギーだけで説明しきれるか、それから自然を実感できるかというとできないんですよ。何がたりないかというと「情緒」がたりない。物理学にこの「情」の観点が欠けているんです。

 この目の前の緑あふれる自然をみて、一番感じるのは「情緒」なんです。松は松の情緒、竹は竹の情緒、石や水や風もみな情緒でしょう。この情緒が物の本質「物そのもの」なんです。法則やエネルギーは我々にとってはニの次なんです。

 だから物理学も自然を説明するのに、本当は第10識「情の世界」から説明していかないと真の説明にならない筈です。ところが西洋では決してそうは思わないらしい、法則とエネルギーで済ましてしまう。

 で、この自然の実体は「情緒」なんです。老子はこれを「如」(らしさ)といっていまして、岡もその老子の自然学でいう「如」が天地開闢(てんちかいびゃく)のはじめにあるのだといっています。

 日本でいえば万葉集や芭蕉の世界がその典型ですし、私の絵の会の大野長一の絵の世界もそうだと思います。
  ほろほろと山吹散るか滝の音  芭蕉
我々はこの芭蕉の句がすぐに当り前のようにわかりますね。ということは我々日本人は無自覚的にだけれど、岡のいう情緒の世界に実は日々生きているんですね。

(小原) やっとこの「情の世界」が何となく見えてきましたね。第9識の意味もわかってきましたし、まだ序の口だと思いますが。

(横山) いえ、いえ。小原さんは岡の第10識「情の世界」を十二分に理解されていると思いますよ。この第10識が根底ですから、これがなければ深い心、無私の心はうまく機能しないんです。

 ところが人類は今日まで、その事実を知らないままにやってきた。だからこのような不完全で危険極まりない文明ができてしまった訳です。環境問題にしろ民族紛争にしろ、その他多くの問題は人類のこの「情」の欠如が根本原因です。

 だから文明がこうして完全に行き詰まりましたから、これからは岡の発見した第10識「情の世界」という心の根底から、人類の真の文明を再構築していくべきではないでしょうか。

 それを実現するためには、無自覚的にだけれども「情の文明」を既に築いている日本人が先ずはその事実に目覚め、そして岡のいうように粉骨砕身働いて、その重要な役割を荷っていくべき時にきているのではないでしょうか。

 そういうことで今回の対話もやっとここまで辿りついた訳ですが、今日はそういう結論で終りたいと思います。長時間、本当にありがとうございました。

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