「心そのもの、命そのもの」
【1】 2つの心
人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心は私というものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸でワライカワセミのようにうるさい。
それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。
これは心理学者は知らないんだけど、子供の生い立ちを見てますと、第4年目にはこうなりますからわかります。人とはどんなものか、子供の生い立ちを見るのが一番よくわかる。第4年目にこうなる。それが前頭葉に宿る心です。
欧米人はこの第1の心しか知らない。しかし人にはもう1つ心がある、第2の心。心は2つしかないのです。1つじゃない、もう1つある、第2の心。この第2の心は頭頂葉に宿っている。この心は無私の心です。私のない心。どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、直()にわかる。
それから頭頂葉に宿るというのは、中心が頭頂葉だという意味ですが、この心は頭頂葉から広がって肉体の全部を覆い、更に広がって物質的自然界の全部を覆い、更にその外に出て、およそ時というもののある所、現在、過去、未来の如何を問わず、時のある所にはこの心は必ず広がっている。こういう第2の心というのがある。
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