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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【2】 念の経絡

 ところで、第2の心が本当の自分です。その中心が頭頂葉に宿っている。宿っているというのは中心が頭頂葉にあるということ。それで意志は頭頂葉から出るんです。これを念という。「残念無念」の念。念という、意志です。意志って、非常に強くそれが残った時、念ていいますからね。執念の念、やっぱり意志。これを念という。

 それが大脳を伝って流れて前頭葉まで達する。それを意という。意というのは仏教の言葉、意志と普通いうんだけど、意志というより意という方が感じが出て言葉としてよろしい。意という。意識できるのは意から出来ます、念は。

 しかし、仏教では修行の積んだお坊さんはわかるのね。しかし、その次の数は、これは感じであって算数できん。「人には1日8億4千の念がある」という。どーして、8億からポンと跳んで4千ていうのかわからんのだけど、何か8億4千ていうと生花でいえば良い枝振りだなあと思う。感じでしょうね。8億4千の念がある。だけど、非常にこう念が出てるのね。正確に計って欲いんだ。ちっとも科学的なやり方をしようという意欲がない、坊さんは。8億4千たら感じです。

 ところで、頭頂葉から前頭葉に達するに2通りの道がある。前回りするか、そうすると頭頂葉、運動領、前頭葉とこう行く。後ろ回りすれば、そうすると後頭葉、側頭葉、前頭葉と行く。側頭葉は2つあるじゃないかっていいますが、これは連絡ついてますから同じようなもの。頭頂葉、後頭葉、側頭葉、前頭葉と行くか、これ後ろ回り。頭頂葉、運動領、前頭葉と行くか。2通りある。

 これは、はっきりこんなの、もっとないっていうこと知る為には、脳の解剖図がないと。で、まあ2つ。それで、人はどっち回りして念が意になってるかというと、前回りして念が意になってる一群の人がいる。これを西洋人と定義します。後ろ回りしてるのを東洋人と定義する。

(※解説2)

 ここも以前に「岡の大脳生理」で一度取り上げたところであるが、これは前章の「2つの心」と同じく最も基本的なところであるし、この「2つの念」について岡が詳細に説明しているところでもあるので、再度取り上げてみた。

 岡のこういう推理の方法は、私には門外漢である岡の専門の数学を彷彿させるものがある。連想力、想像力、構想力という岡のいう「数学的推理の三姉妹」の面目躍如である。

 この「2つの念」は東洋の仏教と西洋の大脳生理が見事に融合したものであるが、念の前回りが西洋人、後ろ回りが東洋人とは何と簡潔で美しい原理だろう。このような構想は岡が長年築き上げてきた岡の大脳生理の賜であって、人類は20世紀になってやっとこのような美しい原理を大脳生理の世界に持ち得たのである。

 猶、仏教は「人には1日8億4千の念がある」といっているようだが、科学者である岡は後々「念はそんなケチな数ではない」といっている。これは私にはとても想像のつかないところである。

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