「心そのもの、命そのもの」
【7】 騎馬民族
そんな風で東洋人、日本人は東洋人ですから、つまり病気にかかってませんから、もとへ遡ろうと思ったら、そうでなくっても側頭葉の感覚で止まり勝ちになるでしょう。ところが中国から応神天皇の時に文字が伝わった。この時の勉強の仕方ですが、聖賢の道を書いてあった。それで上流の子弟は「これは!」というんで跳びついた。
が、その勉強の仕方ですが、これは文字に読まれたんです。何故、そんなことがわかるかというと、文字に読まれますと側頭葉教育になる。本当は頭頂葉教育であるべきでしょう。文字は指さす指であって、その彼方の天上を見よっていったら、本当にその指の指さす彼方を見れば、頭頂葉の発育を図るんだけど、ところが側頭葉の発育を図ってしまった。
これは丁度、終戦後、新学制下に、これはもうわざわざアメリカの真似して、デューイのいうところを聞いて側頭葉教育をやったんです。そうすると暫くの間に手足が著しく伸びた、つまり身長が伸びた、びっくりする程伸びた。私、電車に座ってた。そしたら、ぐるーっと背の高いのが取り囲んだ。それで私、これは電車の天井をもっと高くしなきゃいかんと思った。それっくらい伸びた。
当時もそうだったらしい。何故って、歴史家は騎馬民族というのがあって、満州か何におって、上流へ入ったらしいという。その証拠に塚を掘ってみると、実際、身長が急に伸びているとか。何という馬鹿な!眼前にこんな例があるのに。で、その研究の結果わかりますことは、読み方が文字に読まれたという読み方を皆したということがわかる。
歴史家だって人を惑わすだけじゃなく、それ調べてくれたものがあるから、今の大学生諸君を見りゃあいいんです。「ああ、文字に読まれたな」と。それで、この時以来、物質主義の癖がズーッと続いてる、千数百年、明治の初めまで。
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