「心そのもの、命そのもの」
【6】 ロケットの限界
自然というのは、その人の第2の心の表現なんです。肉体がなくなれば、これは消える。消えたら何もなくなるかといへば、そんな心配はありません。本質だけ残っています。本質でもないっていうんで、束縛はない。エッセンスだけは残っている。サン・テクジュペリまで引き合いに連れて来なきゃあ、あなた方、仲々ここは聞かん。物質主義だから。
私だけじゃない、「原始帰り」した仏人もそうだと、もうこれはいうに限るところ。それは、こんなものに縛られるより、行こうと思ったらもうそこへ行ってる方がいいでしょう。それとも仲々行けない方がよろしいか。そんなことしたら、数10万光年遠くへ行こうと思ったら、さあ命の持ち合わせいくつ要ると思う。
このまま、この命を持って、この肉体をーそれはこれと共になくなる。記憶なんかなくなりますね、エッセンスだけ残りますから。感じはなくなる、記憶は感じですから。実感だけ残る。それじゃ困るっていうんで、ロケットの中へ肉体持って乗り込んだって、途中でなーん度も変えなきゃならんのだから。
それは本当に夥しう変えなきゃなりませんよ。数10万だけでも相当だのに、それが光年だから。どれくらい速く飛べるんか知りませんけど、あんまり速く飛んだら潰れっちまうから、そんなに速く飛べない。だから、もうそんな馬鹿なことは思わんこと。地球が冷えて、何れ移住しなきゃなりません。いくら研究したって、そんなん役に立たないに決まっている。
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