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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【6】 ロケットの限界

 自然というのは、その人の第2の心の表現なんです。肉体がなくなれば、これは消える。消えたら何もなくなるかといへば、そんな心配はありません。本質だけ残っています。本質でもないっていうんで、束縛はない。エッセンスだけは残っている。サン・テクジュペリまで引き合いに連れて来なきゃあ、あなた方、仲々ここは聞かん。物質主義だから。

 私だけじゃない、「原始帰り」した仏人もそうだと、もうこれはいうに限るところ。それは、こんなものに縛られるより、行こうと思ったらもうそこへ行ってる方がいいでしょう。それとも仲々行けない方がよろしいか。そんなことしたら、数10万光年遠くへ行こうと思ったら、さあ命の持ち合わせいくつ要ると思う。

 このまま、この命を持って、この肉体をーそれはこれと共になくなる。記憶なんかなくなりますね、エッセンスだけ残りますから。感じはなくなる、記憶は感じですから。実感だけ残る。それじゃ困るっていうんで、ロケットの中へ肉体持って乗り込んだって、途中でなーん度も変えなきゃならんのだから。

 それは本当に夥しう変えなきゃなりませんよ。数10万だけでも相当だのに、それが光年だから。どれくらい速く飛べるんか知りませんけど、あんまり速く飛んだら潰れっちまうから、そんなに速く飛べない。だから、もうそんな馬鹿なことは思わんこと。地球が冷えて、何れ移住しなきゃなりません。いくら研究したって、そんなん役に立たないに決っている。

(※解説6)

 ここは以前に「歌でよみとく日本歴史」の中の(14)「造化の神々」でも触れたのだが、何10万光年という宇宙空間を移動する方法としては、ロケットでは丸で役に立たないという岡の主張である。そして今、先進各国がしのぎを削っている宇宙開発というものに、「もうそんなバカなことは思わんこと」と岡はいっているのだから痛快である。

 大体、なぜそんなに宇宙空間を速く飛ばなきゃならないのか。

 宇宙空間ばかりでなく、地上の交通機関もなぜそんなに1分1秒を争わなきゃならないのか。初めからそう決めてかかっているところに、私は「科学」というよりは一種の「宗教」を感じるのである。

 これは「第7識」、時間空間の中に物質があるという世界の最大の特徴であって、そこに私は時間空間を盲目的に征服しようとする絶対的な「意志」の存在をまざまざと見るのである。ショーペンハウエルの説いた「意志」である。

 だから、自然科学は詰まるところその本質を、「意志」という心の要素に最終的に還元することができるのだから、やはりこれは「科学」というより「宗教」であると断言してもいいと思う。しかも今は、人類全体がその狂信者になり切っている。

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