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2015.04.23up

岡潔講演録(14)


「心そのもの、命そのもの」

【11】 袈裟と盛遠

 古事記の何をこれで補ってもよろしいが、そんなん余計なことですね。その心そのものが後の天の月読の命、名前つくのが遅いから、古事記は。それから妙観察智そのものは高御産日命、さっきいった通り。じゃあ命そのもの。命そのものというのはねえ、心そのものの流露の先端を命そのものというのです。

 だからして、その先が皇孫が伸びて万世一系の皇統となって、日本へ伝わって日本の国というのです。心そのものの流露の先端だから、そうなるのも当然でしょう。で、命そのものというのはどんな意味か。これを例によってお話します。余計なこと抜いて、古事記の説明も抜いて。そんなこと「曙」に書いてあります。無駄口はやめて。

 平安も末の頃、鳥羽上皇の北面の武士に源渡(みなもとのわたる)というのがおった。宮中に仕え、卑しい仕事をしていた袈裟(けさ)という女性を娶った。袈裟は輝くような美貌で、心ばえも優にやさしかった。夫婦仲は誠に睦まじかった。ところが同じ北面の武士に遠藤盛遠(えんどうのもりとお)というのがいた。ふと袈裟を見染めて、命がけで言い寄った。で、袈裟は事態をよく見て、ここは貞操を守る為に命を捨てるより仕方がないと見極めた。

 それで主人の留守の時を見計らって「今夜、自分は主人を早く風呂に入れて、これこれの部屋に寝かせておくから、お前、手さぐりで髪が濡れているのを知ったら、一刀にその首を打ち落としてくれ。その後でなければお心に従えない」とこう書き送った。それで盛遠はいわれた通りにした。そして月明かりに透かしてみると、あろうことか袈裟の首だった。

 それで袈裟が命を捨てて貞操を守ったという評判が京の街々に広がった。そうすると袈裟の葬式の日に、京の街々で貞操をひさいで暮しを立てていた夥しい女性達が、その葬列に加わって遠い田舎の墓場まで送り届けた。こういうんです。

 そこで問題になるのは、一体、袈裟は世の穢れを取ったのだろうか。それとも、生きる望みを失った可愛想な女性達に、生きる希望を与えたのだろうか、どちらだろうという問題が起こる。私は後者だと思います。だから袈裟は天照大御神のご分身なんです。生きる望みを失った人に、その望みをお与えになった。もし、前者だったら、これは天の月読の命のご分身なんです。月読の命も時々お現れになって、世の穢れをそうしてお取りになってる。

 それで、天照大御神の喜びのお光というのがわかると思う。生きる望みを失ってしまった可愛想な女性達に、自ら求めてしたんじゃない生きる為にそうなった、生きる望みをお与えになった。貞操を守ったこんな人がいると、実際感銘することによって、こういう与え方でなければ再び生きる望みは与えられない。

 だから、このニ柱の神々はこんな風にして常に日本を守っておられる。で、伊勢の神々は常住にして不易であることがおわかりになったと思います。明治天皇は、

 天照す神の御光(みひかり)ありてこそ
 わが日の本は曇らざりけれ

 こう歌ってられる。

(※解説11)

 私はここを読むと、必ずといっていいほど目頭が熱くなる。平安の京の街々の女性ばかりではなく、現代の我々にも袈裟の行為は深い感銘を与えつづけているのである。

 岡の言葉に「人生を本当に生きようとする人ほど、人生は生きづらいものである」というのがある。順風満帆の人生なんて、嘘である。人が真剣に真面目に生きようとすると苦しいものであり、辛いものである。しかし、それから目をそむけたら、人生はお仕舞である。

 袈裟が死を選ぶこと以外に道がなかった訳ではない。しかし、現代の我々にはわかりづらいことかも知れないが、袈裟が身を捨てた行為に我々はかすかながらも「感銘する」という感受性を持ちつづけていることも事実である。

 人生を享楽の場の「第1の心」の世界と考えると、必ず人生を誤まる。そんな例は我々の周辺にいくらもある。別に必ず死ななければならないということではない、人生には決断すべき時、行為すべき時が必ずある。その時に自らの内心の声に忠実であれと私はいいたいのである。

 岡によると、日本には天の月読の命(心そのもの、懐かしさ)と天照大御神(命そのもの、よろこび)の分身が沢山あって、日本人を30万年かけて第10識(真情の世界)まで何とか持ってきたのだが、それで辛うじて「人類の自滅」を止めることに間に合ったのだというのである。

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