(※解説3)
ここはショウペンハウエルと比較して、共産主義の生みの親であるマルクスと西洋哲学の大御所、ヘーゲルを位置づけているところであるが、これによって岡は近代西洋哲学を例のごとく一掴みにしてくれていて、我々にとってはまさに「目から鱗」ではないだろうか。従って岡のこの数行は、万巻の哲学解説書に値すると思う。これが藤原正彦のいう岡の「圧倒的な大局観や総合判断力」である。
さて、それに関して素人ではあるが、私の抱いている西洋哲学観について少し言及してみたい。これは梅原猛の初期の作品「日本文化論」を参考にしているのだが、ショウペンハウエルと同じく「西洋は意志の文明である」と指摘した人はもう1人、ハイデッガーであるという。
彼は「時間」ではなく、岡のいう「時」の不思議さを見詰めた人だけあって、ショウペンハウエルとともに自らの西洋文明の本質をよく見抜いた人である。
また、梅原は若かりし頃、ニーチェを愛読したというのだが、そのニーチェは「力の強いものが弱い者を支配するのは当然である」という考え方で、当時のナチスの独裁政治に少なからず影響を及ぼしたというが、これは完全に「意志と力」の思想であって、「第1の心」の典型である。
ショウペンハウエルとハイデッガーはその「意志の思想」は最早限界にきているから、西洋はそれを自覚し反省しない限り世界に平和は来ないし、西洋に未来はないといっているのだが、ニーチェやヘーゲルやマルクスは従来の西洋の世界観に安住していて、それがサッパリわからないのである。
特にマルクスは「資本論」を書いて、当時の資本主義を批判したのだが、あれは「第1の心」の右翼思想(資本主義)を同じく「第1の心」の左翼思想(共産主義)で批判しただけであって、共に「意志と力」の思想に変わりはないのである。これがまさしく西洋の限界というものである。
猶、先にも触れた梅原猛先生について一言申し上げたい。先生は現代の思想界において、最も西洋哲学を理解し、その限界を正確に批判し得た人だと思う。その点は流石に日本人には珍しい一級の哲学者である。
そして、その西洋哲学に替わるものとして、東洋の仏教に期待を寄せるのもまた当然のことかも知れない。岡も一時、そうであった。しかし、岡は晩年、第10識「真情の世界」を発見してからは、仏教の説く第9識の「知の世界」では不十分で、人類の普遍的な心の構造を正確には表してはいないと見るのである。
私は今まで梅原先生にその岡の資料を度々お送りしてきたのであるが、岡に一応の敬意は払ってくれるものの、その後の先生の発言にはなんの変化もなかった。
しかし、最近は古代日本民族と繋がりのあると岡のいう、エジプト文明の影響を受けてか日本の「古神道」に傾き、遂には仏教哲学一辺倒ではなく、「人類哲学」の必要性を提唱し模索されているということである。
これは誠に卓見であると私は思う。しかし、その「解明」についてはこれからの問題だというのだから、先生のお歳を考えると前途多難である。
私が先生に是非お伝えしたかったことは、その「人類哲学」なるものは岡潔という20世紀の大天才によって、今から4、50年も前に既に完成されているということである。我々はただ、それを読むだけで良いのである、と。
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