「秋が来ると紅葉」
【12】 欧米人の潜在識
ところでポアンカレーですが、ポアンカレーがなぜこんな風になるか。つまり欧米人は大体、なぜこんな風になるかといいますと、さっきもいいました通り、欧米人は普通はまあ理性を一番使いますが、理性といえば妄性と邪性が入りますね。で、邪智型平等性智。
ところでポアンカレーの場合は邪性は取れてるんです。妄性だけが残っている。私これ、キリスト教のお陰というように思う。多分、一度か二度天国へ行ってきている。そうしたって妄性は取れません。しかし、邪性は取れる。邪性取れてる。
邪性取れて、妄性だけ残ってますとね、人は生まれて3カ年の間、これを童心の季節というんですが、この時は自我は全くない。で、4年目になりますと自我の外郭ができる。これから時間空間の枠の中に入ります。それから第5年になりますと、これは自分の意欲、自分の感情というのがわかってくる。それで自他の別がつく。
それで人の中核は童心3カ年でできちもう。それからあとは皆着物だと思ってよい。その着物のうちで脱ぎにくいものが2枚ある。1枚が自他の別、2枚目は時空の枠。
ところでキリスト教の天国へ行ってくると、自他の別は取れてる。が、時空の枠は残ってる。時空の枠は残ってるものですから、童心の季節っていったら心そのものですから、そんな風にはやれない。頭頂葉の世界が童心の季節だからですが、そこへは行けない。やはり前頭葉の影ですね、時空の枠がありますから。
で、そんな風だから、無心に研究するということはできない。無心というのは全く取れてしまう、頭頂葉の世界のことだから。そんな風だから、ポアンカレーの研究の仕方は研究に没頭するということは多分ない。そうした時、どうして創造ができるのか、私にはわかりませんが、しかし、ともかく創造の仕方は頭頂葉に実った創造自体を見るんではなく、その影を前頭葉で見てるのだということはわかります。
胡蘭成さんは、胡蘭成さんて、ご存じない方もあるかも知れない。日本に20年程おられる中国の方ですが、胡蘭成さんは「日本人なんかは悟り識が開けているから、悟り識ったら頭頂葉ですね、それで創造できる。欧米人は潜在識で創造するんだ」と、そういってられますが、本当に潜在識なのか、よくわかりませんが、一度無明を通るでしょう。だから何がどう働いているんかわからんけれども、できるんでしょう。
こんなん、理性的努力をしてから1年も1年半も放って置いたらなぜできるのか、私やってきたことはないから知りませんが、潜在識だっていうのはわかりますし、そうすると影しかわかりませんから。この、会取するんですね、頭頂葉へ実ったものを、頭頂葉で見ますと。一種のわかり方でわかる。で、それでないということもわかる。
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