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2015.08.13up

岡潔講演録(16)


嬰児(えいじ)に学ぶ」

【1】 消えざるものはただ誠

 人には真心(まごころ)というものがある。土井晩翠(つちいばんすい)は「消えざるものはただ誠」といっている。人が真心に感激するという心は無私の心でなくてはならない。また人が、人の真心に感激していると私は入れていない。このわかり方は意識を通さない。全身8億4千の毛穴からわかるのであって、頭からわかるのではない。

 だから、第2の心はたしかにある。本当の自分というのは、この第2の心のことである。仏教はこれを真我といっている。これに対して、人は第1の心の描く妄像を自分と思いがちであるが、これを小我といっている。

 第2の心を自分と気づいている人を目覚めた人、気づいていない人を眠っている人という。人には2つの状態があって、この2つしかない。目覚めた人のことを仏教では(ぶつ)菩薩(ぼさつ)といっている。日本では神という。人は第2の心の中に住むべきで、目覚めたらそうなるが、目覚めなくても、できるだけ第2の心に住もうと努めるべきである。それが善であり、その反対が悪である。

(※解説1)

 「人生意気に感じては成否を誰かあげつろう。消えざるものはただ誠」

 これは明治の詩人、土井晩翠(つちいばんすい)の「星落秋風五丈(せいらくしゅうふうごじょう)(はら)」の一節である。岡は晩翠の詩を随分暗唱していて好きである。私は思うのだが、ひとの人生から「意気に感じる」ということを抜いてしまったら、一体何が残るのだろう。私などはこの人生で、その「意気に感じる」ことばかり選んでやってきたような気がするのである。

 私にとって利害や損得などは二の次であったし、この「意気に感じる」ことを目標に人生の梶をとってきたつもりであって、それこそが生き甲斐であり、喜びであったのである。それに倍する辛いことが多少はあったにも拘らずである。

 中でも私が岡潔研究会をひとり立ち上げた頃は、岡の本は全て絶版となっていたし、岡潔の名を口にする人など、ほとんどいなかったのである。私は何としてでも、この思想だけは世に残したいと思ったのである。

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