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2016.05.16up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【14】 日本の学問

 西洋人はまことにのんきである。日本人はまことに人真似そのものである。今回のエグゼクティブソサエティを「創造の視座」とされましたが、日本人のしていることは、人真似ばかりです。

 明治以後学問といえば、大体西洋の学問という意味でしょう。その西洋の学問といえば西洋人が縄張りした中をやるということでしょう。一歩でも外に出たならば、学問とはいわんのでしょう。これは模倣それ自体です。例外は1つもありません。

 たとえば、私ですが、私は西洋人が数学と呼んでいるものの中を研究しました。こんなことは模倣そのものです。こんなことをやる奴もやる奴、そんなことをした奴に文化勲章をくれる奴もくれる奴(笑声)。日本て模倣そのものですよ。いま創造だなどと、大体創造という言葉は西洋人の言葉です。

(※解説14)

 私のような学問的常識のない者が、こんなことをいうのは筋違いかも知れないが、岡は西洋の学問の中で最も精密度の高い「数学」でさえ、その根底を考えるとそれは「学問」とはいえない、という立場に次第に変わってきているのである。

 だから、日本人が「数学」を研究するのは、西洋の真似であり「模倣だ」と言い切るのである。この数年前に「数学は闇を照らす光だ」といったことと比べると、岡の中で「数学」の評価は急速に変わってきているのであって、これが岡の晩年の心境の変化の1例である。

 では「模倣でない学問」とはどういうものだろうか。それをこの「創造の視座」で岡は独自に証明しようとしているのであって、その手法とか学問の方向性を皆さんにもよくよく考えて頂きたいものである。

 この「創造の視座」が岡の西洋の学問に対する最終的評価といってもよく、この辺から岡は西洋を離れ、東洋思想の批判へと入っていくのである。

 それはともかく、今花盛りの西洋の学問が本当に真実を語っているのだろうか。私には行きつく先のない複雑な問題を、ただただ増やしているだけのように見えるのだが。

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