「創造の視座」
【21】 夢のメカニズム①
ところで、ここまでくると、西洋人にどうしてもわからんものの生理現象の1つに夢というものがある。夢はなぜ見るのか、夢さえわからないのに、人をこう教育せよなんていったって、でたらめに決まっていますね。
で、夢ですが、夢というのは、実際不思議なものですが、その覚めかけには、多くの場合、たいてい言葉が残るでしょう。夢の中の言葉を覚えていて、その続きについて起きてから考えたりすることがある。言葉が一番印象に残る。
そうすると、夢というのは頭頂葉の図書室で作曲されて-作曲し、ドラマ(劇)に編まれて、それが後頭葉で情緒の形に述べられて、後頭葉から前頭葉へはどうしてでも送れるわけです。しかし、後頭葉から前頭葉へどの経路で送っているかということ、それもついでに夢でわかりますね。
言語が入るんだから、後頭葉から横へ回って側頭葉を通って、それから前頭葉へ達する。前頭葉へわずかに達すると、前頭葉でなければ意識を通しません。それで覚醒時の意識につながる。夢が醒めるというわけです。
で、夢は後頭葉で見ているんですね。この後頭葉と前頭葉との続きぐあいは、側頭葉を通るのだということが夢で見ればわかる。そうすると、逆の経路もわかる。人はものを咀嚼玩味して情緒の形に変えてどこかへ送って蓄えているはずです。どう送るかというと、やはり逆の経路を通るのですね。前頭葉から側頭葉を通って後頭葉へ送る。それをさらに頭頂葉へ送って図書室の内容として蓄える。
こうして蓄えられたものは記憶と違う、印象ですね。その情緒が起こってくれば、いつでもその記憶がよみがえる。おのずから春がくれば花が咲くように、その気分が起これば、すぐに出てくる記憶・印象というものがありますね。
これは資料室といっていますから、ことによると後頭葉へそのまま蓄えられるものもあるかもしれない。しかし、どうも図書館は頭頂葉と思えますから、頭頂葉へまで送るのじゃないか。よくわかりませんが、ともかく後頭葉、頭頂葉辺へ印象を蓄える。側頭葉の海馬溝へ記憶を蓄える。そんなふうになっているらしい。
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