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2016.08.29up

岡潔講演録(19)


「1971年度京都産業大学講義録第5回」

【11】 福沢諭吉

 福沢諭吉が馬鹿なやつで、自由とか権利とかがいいって、こう云ったんです。福沢諭吉、ビールス病の元祖でしょう。

 これはどう云うべきかと云うと、自我というのは小我であって、真の自分ではない。しかし人類進化の現状ははなはだ低く、多くの人は自我を自分と思いがちである。だから(ひと)に対してはその自由や権利を認めるのがよい。そう云うべき。なお念のため、自分がそういうものを主張するのは元より間違いである。そこを間違えてるんですね。

 他が個人主義、自我を自分と思ったり、あるいは物質主義、、物質的幸福を喜んだり、たとえそんなことをしていても、嬉しそうにしている。そうすると余計な詮索はしないで、自分も嬉しくなりなさい。こちらに意味がある。自分が主張せよって云ったんだから無茶です。そうするとビールスの行動になってしまう。

 1300年程の間、仏教は小我と真我の区別を説いて来た、明治の初めまで。福沢諭吉、それがわからんて云うんだから、実に馬鹿です。それを今日、大思想家だと云ってる、思ってる。福沢諭吉は馬鹿だからって云うようなことを云ったんです。自動車の中で。そうすると助手席に乗ってた若い人が、後ろを振り返って僕をにらんだ。

(※解説11)

 ここもやはり若い人に睨まれても仕方のないところかも知れない。有名な「学問のすすめ」を著し、1万円紙幣にもなっている明治時代を代表する思想家である、あの福沢諭吉をこういったのだから当然だろう。

 しかし、岡は明治維新が成立するまでに働いた人、つまり時代に危機感をもち、その先を見越して働いたが、その結果は享受していない人、坂本龍馬や吉田松陰は非常に評価するが、西洋文明を取り入れるために明治政府の要職について働いた人はほとんど評価していない。例外は西郷隆盛ぐらいだろう。

 そこには岡のいう西洋文明の基本理念である「第1の心」と、東洋思想の基本である「第2 の心」 の違いがよく現れているからである。

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