「1971年度京都産業大学講義録第5回」
【12】 彗星と遊星
世界全体、特に若い人達が生きているということに望みを失なってる。その症状を詳しく説明すると、病理を説明すると、こんなふうなんです。それで全の上の個として生きるには、どう生きるのがよいかと云うこまかい注意ですね。
ともかく、生物になろうとして成り損なったビールスにしろ、悟った人になろうとして成り損なった西洋人にしろ、共通のところがある。惑星が志を立てて遊星になろうとする。それが上手くなれればそれでよい。成り損なったものに『彗星』というものがある。
彗星と云うのは、独自の行動を起こすということにのみ気がいってしまって、その1面に偏して元のものとの連携を、つまり太陽と連携を保つ『太陽とのつながり』、これを非常に軽くみてしまったんですね。それでほとんどハイパーバラ(放物線<編者注>)のような軌道にのって、楕円形の軌道にのらない。これに似てる。遊星独自の動きということも大事だし、太陽との引力ということも大事だし、2つ寄って遊星は軌道にのる。その太陽との引力、つまり元のものとのつながりを忘れたんですね。
で、唯物主義は間違い。唯物主義の害の1番ははなはだしい形が個人主義。そうすると問題になるのは自分です。
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