(※解説14)
「第2の心」には2つの要素があると、岡は次のように説明している。
1つは真の自分というもの。真の自分というものは無始の始め(始めなきの始め)から、今に到る
まで生き通しの自分が真の自分です。(これを仏教では真我というのだとよく岡はいう)。それが常にあるかといったら、ある時は非常にあるんですが、全然ない時と2色ある。
もう1つがこの妙観察智の自分。例えば笹本上人(弁栄上人の弟子)がペンを走らせている時、ペンの先に自分がいることがわかって大変うれしかったと書いておられる。これが妙観察智の自分。関心が集まるところに自分がいるという自分。
だから絶えず変わっている自分(妙観察智の自分)と不変の自分(真の自分、つまり真我)とに「第2の心」は別かれる。そして最後に肉体とその機能とが自分だと思っている「第1の心」が追加される訳であるが、これは「自己中心」という妄想の出発点になる自分である。
岡は概略こういっている。ではなぜ岡の数学は西洋の数学者達が驚いたように、とても1人の数学者の成果とは思えないくらい多岐にわたっているのか。また晩年の思想までいくと尚更で、前回の「創造の視座」でもおわかりと思うが、その様相を更に深めているのである。
これが「妙観察智の自分」の典型的な例であって、関心の集まるところに「妙観察智の自分」が1人ずついて、それらが有機的につながっているから、多岐にわたる真理の解明が総合的に深められていくのである。
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