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2016.12.15up

岡潔講演録(21)


「1971年度京都産業大学講義録第11回」

【1】 「春雨の曲」第1稿

 ところで、その本、毎日新聞社から出版しようと思って、毎日新聞社へ原稿を渡した。(これが「春雨の曲」の第1稿と思われる。この稿は残されていない)つまり、読んでみて、出して良いと思ったら、自分としては出して欲しい、そういう意味ですね。そうすると毎日新聞社から電話がかかってきて、出版致しますから、そのうちに細かいディテールを打ち合わせに伺いますからと、そういうことだっだ。それからもう2週間、もっとなるのに、来ない。一体どういうことになってるんだろうと思ってるんですが。

 それはまあ別の話として、そんなふうだから、本が出来たらそれによってお話しようと思ってた。そうすると出来てこない、2学期の授業は始まると、こういうことになったんですね。だから、まあ、そのうちに何とか、僕も電話かけてみますし、一体どういうつもりなのか聞いてみます。毎日新聞社、考えが変わって、こんなものとても出せないと思ったんだったら ― 随分思うかもしれないんです(笑いなから)。と云うのは、みんなの思う通り思っていないから。それだったら原稿返してもらいますし、とりあえず。

 で、まあ、そんなふう。

(※解説1)

 岡は1969年に最後の出版となった「神々の花園」を出版したのち、翌年の70年には「流露」の原稿を書きあげて出版社に出すのだが、結局出版には至らなかったのである。当初旺盛だった読者の関心も、岡の境地がひとり先走りするにつれて次第に遠のき、出版部数が急激に落ちてきていたのである。

 今回の「春雨の曲」第1稿はその翌年の71年の原稿ということになるのだが、岡がここで語っているようにやはり出版社があまり乗り気ではないようである。出版社としては岡潔という名前に一応の敬意は払うものの、無下にも断れないという苦しい本音が見え隠れしている。

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