(※解説14)
私が小さい頃、祖母と土讃線を汽車で旅したことがある。そうすると祖母は近くに腰かけている人に話しかけ、長く世間話をかわしたものである。昔のローカル線では私の祖母ばかりではなく、多くの人がそれぞれに世間話をし、車内はにぎやかな雰囲気に包まれていた。
ところが現代はどうだろう。そういう人は先ず見かけない。都会に近づけば近づくほど車内は静まりかえり、各人は雑誌を読むとかケイタイをつつくとかして、全く個人の殻の中に閉じこもっているのである。
どちらが良いかは各人のご判断だが、私は静まりかえった車内なんか嫌いである。いつ頃からこうなったかを考えると、これは間違いなく戦後である。アメリカ文明が怒涛の如く流れ込んできたからである。
この人間観を西洋の「個人主義」というのだが、この個人主義とはこの「肉体」とその中にある「自我意識」が自分だから、所詮は自分と他人となんの関係があるというものである。
実はこの人間観は真実ではないから、いろいろな弊害が生まれてくるのだが、その弊害を補うために「愛」というものを筆頭に、「マナー」とか「エチケット」とかいうものが西洋にはあるのである。
しかし人は肉体は違っていても、本来は仏教の説く目には見えない「心(第9識)」というパイプでつながっていて、そのパイプの中を岡の発見した「情(第10識)」という流体が流れるから、「懐かしさと喜びの世界」を各人は感じるのである。そして、この世界観から自ずと生まれた言葉が「旅は道づれ世は情」である。
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