「1971年度京都産業大学講義録第23回」
【10】 芭蕉の2句
それじゃ芭蕉はどうかと云うと、2つある。1つは、
『春雨や蓬をのばす草の道』 芭蕉
この句は黄老の道の「草をのばすはこれ天の道、草を除くはこれ人の道」という言葉をふまえています。それで草の道とした。
春雨や蓬をのばす草の道 芭蕉
だから内容は、春雨が小止みなく降り続いている。咋日もそうであった。一昨日もそうである。そのため草の道の蓬はどんどんのびて行く。草の道はそれを見ると嬉しくて仕方がない。その喜びを見ると春雨も嬉しくて仕方がない。それで小止みなく降り続いている。明日も小止みなく降り続けるであろう。明後日もそうであろう。こういうの。この調べを聞いていると、わたしは『万古の春雨』という気がする。すなわち万古という気がする。
もう1つある。
『ほろほろと山吹散るか滝の音』 芭蕉
滝と云ってもこれは非常な急流という意味です。ゴオーと鳴ってる非常な急流。ところがどんな急流でも、人がそれを聞くから人の心にその急流があるのであって、人の心には注意がそれる時というのがある。だからゴオーと鳴ってる滝の音にも静寂(しじま)というものがある。その静寂で山吹を見てみると、ほろほろと散る微妙な山吹の散り方が初めてわかってくる、こういう意味です。このほろほろと散る微妙な散り方は物質ではない。滝の音などのような物質ではない。だから物質から生じるものではない。だからどれほど遡ってもあるものである。『不生』。だからやはり万古という気がする。『万古の山吹』。
これは万古の春雨であり、これは万古の山吹。この2つは抱朴子の挿し絵に優るとも劣るものではない。時間あとどれくらい?じゃもうこれでやめます。
だから何よりも、我々は真情、こころと云うものが不死であることを知って、これを無限向上させるのが、すなわち深めて行くのが、これが人のするべきことだと知ってなければなりません。しかしなるべくは、それをするために、地球上に人類が住めないなどというようなことにはしない方がよい。だから人類は今くらい無知であることを自覚出来る時はないのだから、それをよく自覚させて、あまり慎みのないことはさせないようにしなければいけません。とりわけ戦争をおっ始めるなど、言語道断です。これで。
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