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2017.01.24up

岡潔講演録(23)


「1971年度京都産業大学講義録第23回」

【9】 仙人の書「抱朴子(ほうぼくし)

 ところで、話は変わりますが、『抱朴子』という本がある。この本は漢の少し(あと)の時代、その時代に出た本で、仙人のことを書いてある。これは日本から出版されてます。どこ出版だったかなあ、忘れましたが、買えます。抱朴子は今売ってます。

 その本に2つ挿し絵がはいってた。『赤松子(せきしょうし)』という仙人の挿し絵と、もう一つは、なんとか『子輿(しよ)』(赤将子輿(せきしょうしよ))って云うんだけど、忘れた。これは黄帝の頃の仙人です。どういう仙人かと云うと、花びらばかり食べてて、それから鳥を取る色糸を売って歩いた。それで人は『糸売爺さん』と云ったらしい。赤松子は『神農』の頃の仙人です。『黄帝』は今から約『5千年』前ですね。それから神農氏は8代を伝えたと書いてある。その初代の頃の仙人だとしますと、初代の頃すでに知られていた仙人だとしますと、大体1代30年とみて、さらにそれから『240年』前。

 ところでわたしは、あの2枚の挿し絵のためだけにでも、この「抱朴子」という本を買っただろうと思う。なぜかと云うと、いかにも5千年とか6千年とか、そういう昔の話だ、随分古い話だ、(『時代が古い』と板書)そういうことが、書かれてる人にも、それからその近傍の景色にも、はっきりと出てる。時代が古いというのは、時代の古さというのも1つの情緒です。だから如の里に通暁してる人ならば、これは描けるはずです。絵にも描ける、文章にも表わせるというわけ。しかし熊谷さんの絵には、時代が古いという情緒を表わした絵はありません。

(※解説9)

 私も以前に岡家の本棚にある「抱朴子」を手に取って見たことがあるが、その中に載っている絵には異様な雰囲気を感じたものである。それが岡のいう時代の古さという情緒だろうか。

 岡は「ところで私は、あの2枚の挿し絵のためだけにでも、この『抱朴子』を買っただろうと思う」といって、その絵の持つ時代の古さに強い印象を受けているようである。

 しかし、一方で「熊谷さんの絵には、時代が古いという情緒を表わした絵はありません」といっている。現在最高の「如の里」の作家でさえそうである。

 しかし私にいわせれば、私の絵の会の大野長一の絵の幾つかには、まさしく時代の古さを感じさせるものがある。例えば真っ白い「雪のからまつ林」の絵などは、岡のいう「万古の雪」という気がするのである。大野の絵は(かそ)けさが基調になっているから、その良さは仲々写真には出にくい。できうれば実物を見て頂きたいものである。

 猶、「抱朴子」の絵の方ではなく書かれてある内容については、岡は次のようにいっている。

 「日本も中国も頭頂葉のあることは知ってますから、本当のことはかなりあるんだけど、例えば中国で老子の教えなんていうのは本当です。が、それに尾ひれがついて仙術という風な形で伝わってるでしょう。抱朴子とか列仙伝、神仙伝、山海経、荒唐無稽なこと書いてある」

 「秋が来ると紅葉」1969年9月より

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