b 岡潔講演録(23):【 8】 熊谷守一の絵
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2017.01.24up

岡潔講演録(23)


「1971年度京都産業大学講義録第23回」

【8】 熊谷守一(くまがいもりかず)の絵

 印象とか感銘とかいうのは、心の一番奥底の心ですね。それに合ったものは止どめ、合わないものは捨てた。その取捨選択の根本、それをしてる心、これを『菩提心(ぼだいしん)』と云う。仏教の言葉です。だから菩提心を1つ持ってる情緒が情だということになりますね。これは自分だと情緒を認めて止どめたもの、それがあるいは印象になり、あるいは感銘になって消えない。その内容が情緒でしょう。だから時間的経過から云ったらその順ですが、つまり自分というのは、自分を貫ぬいている菩提心、『存在を与える情』ですね。菩提心を1つ持っている情緒だということになるでしょう。

 それで、人の集まり、情の集まりと見てる、心の世界は。そう見ないで『情緒』の集まりと見る。で『各情緒が菩提心』を持ってる。存在を与える根本の情を持ってる。そう解きほぐして見てしまったら、心の世界とはちょっと変わりますね。もう少し広いと思う。これを『如の里』と云う。

 総て『芸術』とは何かと云うと、芸術、西洋で云えば芸術、東洋で云えば『美』。美とは何かと云えば、情緒を描くことなん。真、善、美のうちで美が一番云い易い。『情緒を表現すること』。また情緒がわからなければ始まらないから、美からはいるべきです。

 ところで、芸術の『大天才』は『如の里の住民』なん。こういう人の例には、今生きてる人では『熊谷守一』さんがある。洋画を描く人で、今90何才かの高齢ですが、幸いまだお達者。この熊谷守一さんの『画集』は、最近には『毎日新聞社』から出てる。これはどうもその画集がなければ説明がつかんのです。あの画集の優れたものはみな『如の里の風光』です。で、如の里の風光を見たければ、つまり情緒というものを知りたければ、熊谷守一さんの画集が一番良くわかるだろう、こういうことになる。

 また、如の里の住人である隠れもない大天才は、これは熊谷さん以上の天才でしょうね、如の里の住人だという点では一緒です、『芭蕉』。

(※解説8)

 先に「慮知心」という言葉があったが、ここでは更に「菩提心」と「如の里」という言葉を岡は持ち出して、生まれて3月の「心の世界」の更に奥に「如の里」という世界を想定しているように見える。しかし、この辺はまだまだ曖昧で、当面は第10識「真情の世界」を確立する事に力が注がれるのである。

 さて、ここで「如の里の住人」として洋画家の熊谷守一を岡はあげているのだが、皆さんはこの人をご存知だろうか。東京の練馬に住んだ人だが、家は密林のように植物に覆われ晩年は仙人のように暮らした人である。そこに生える植物や、そこに来る猫や鳥や昆虫などを描いた人なのだが、その絵はまるで子供の絵のように楽しい。岡は現代最高の作家だと評価するのである。岡の家の客間にも確かに「蟻と双葉」の絵がかかっていた。

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