「1971年度京都産業大学講義録第23回」
【8】 熊谷守一の絵
印象とか感銘とかいうのは、心の一番奥底の心ですね。それに合ったものは止どめ、合わないものは捨てた。その取捨選択の根本、それをしてる心、これを『菩提心()』と云う。仏教の言葉です。だから菩提心を1つ持ってる情緒が情だということになりますね。これは自分だと情緒を認めて止どめたもの、それがあるいは印象になり、あるいは感銘になって消えない。その内容が情緒でしょう。だから時間的経過から云ったらその順ですが、つまり自分というのは、自分を貫ぬいている菩提心、『存在を与える情』ですね。菩提心を1つ持っている情緒だということになるでしょう。
それで、人の集まり、情の集まりと見てる、心の世界は。そう見ないで『情緒』の集まりと見る。で『各情緒が菩提心』を持ってる。存在を与える根本の情を持ってる。そう解きほぐして見てしまったら、心の世界とはちょっと変わりますね。もう少し広いと思う。これを『如の里』と云う。
総て『芸術』とは何かと云うと、芸術、西洋で云えば芸術、東洋で云えば『美』。美とは何かと云えば、情緒を描くことなん。真、善、美のうちで美が一番云い易い。『情緒を表現すること』。また情緒がわからなければ始まらないから、美からはいるべきです。
ところで、芸術の『大天才』は『如の里の住民』なん。こういう人の例には、今生きてる人では『熊谷守一』さんがある。洋画を描く人で、今90何才かの高齢ですが、幸いまだお達者。この熊谷守一さんの『画集』は、最近には『毎日新聞社』から出てる。これはどうもその画集がなければ説明がつかんのです。あの画集の優れたものはみな『如の里の風光』です。で、如の里の風光を見たければ、つまり情緒というものを知りたければ、熊谷守一さんの画集が一番良くわかるだろう、こういうことになる。
また、如の里の住人である隠れもない大天才は、これは熊谷さん以上の天才でしょうね、如の里の住人だという点では一緒です、『芭蕉』。
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