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2017.01.24up

岡潔講演録(23)


「1971年度京都産業大学講義録第23回」

【7】 生まれて3月(みつき)

 で、孫を見てみますと、生まれてから『3月』、これ『心の世界』なん。これは通じて心の世界には居るんですけど、外から見たところ。それからここは『1年11ヶ月』。これは『真知』の中に居る。それから残り、これは『2年5ヶ月』。だから童心の季節は『29ヶ月』で、わたし『32ヶ月』と云ってましたが、これは間違いですね。よく見ると29ヶ月。3ヶ月間違ってた。これは『アラヤ識』の中に居る。真如とかアラヤ識については説明します。それから生まれて来る。『自我発現の季節』、これは『自然界』です。

 だからどんなふうにして生まれて来たかと云うと、だんだん狭くなる。だから生まれて来たと逆にたどることが出来るはず、だんだん広く。で、心の世界が一番広いか?そうじゃない。心の世界には『情』というものと『情緒』というものと区別している。しかし情と情緒とどう違ってるかと云うと、本質は一体どうであるかと云うと、情緒と云うのは情と云うわたしが、印象とか感銘に残ったものを止どめたんですね。経験は経験だけど、残らなかったものは止どめなかった。

(※解説7)

 岡はここで人の子が生まれて3月は「心の世界」だといっている。これまで岡は主に仏教のいうように第9識「真如」が心の奥底だと考えてきたのだが、東洋の仏教や儒教は知を優先していることに気づいたことや、原理として情が知に優先することを確認したこと、そして決定的なのは孫の始の「生い立ち」、特に生まれて3ヶ月を観察することによって、確かにその奥に心の層があることを既にこの辺で気づいているのである。

 しかし、その心の層が仏教のいう第9識「真如」であるか、それとも更に深い未知の心の層かを最終的に決定するのは大変な問題であって、岡は人類に先駆けてただ1人それに挑戦していったのである。

 もしもそれが決定できなければ、秒読みに入った人類の自滅を止める思想も生まれなかった訳だし、ひいては人類の未来図も正確には描けないのであるから、それを決定するために岡の孤独な思索はまだまだ続いたのである。

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