(※解説3)
ここでいう「非情」とは、一般的な意味での「非情」とは少し違う。「情の要素がない」というくらいの意味である。
しかし、ここは「そう思えるか、思えないか」というところであって、言葉でいえば簡単なのだが、「思える」ということは実は大変難しく、本当にそう思えるためには長い時間がかかるのである。
何故かというと、「思う」ということは「意識的」にはできないことだからである。人は行きたいところへ行き、したいことができる筈である。これは「意識的」にできるからである。しかし、「思う」ということはそれができない。そう思えといわれても、仲々そうは思えないのが人である。
だから我々日本人が「無意識的」に情を自分だと思えるというのは、実は大変なことであって、最低10万年はかかっていると岡はいうのである。それは何故かというと、20万年前には同族であった知を重視する中国民族と我々が別れたのは、今から10万年程前であると岡は考えているからである。
ともかく日本人は、知や意は「非情」だと思う直感を生まれた時から持ち合わせているのである。これが「クールジャパン」の隠れた根拠である。
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