「情を語る」
【1】 情とは何か
「自分とは何か」っていうのは非常に難しい問題ですが、しかし人は自分とは何かなどと言葉に出して云わないけれども、それが自分だと思ってるものがあるらしい。その自分とは何かと思ってるそのものが世界の各地で違ってる。
心を知、情、意と分けますが、日本人はその「情」を自分だと思ってるらしい。私は勿論そうです。ひとも皆そうだし、歴史をみても、どうもそうだと思う。情は自分だと、日本人は皆そう思う。
知や意がいくら説得しても、情を説き伏せることは出来んでしょう。知的にはこうだ、また意志的にはこうすべきだというふうな時も、情がそれを悲しむ時にはどうしようもありませんね。それでもなおかつ知や意の云うところに従う人もありますが、知や意に従っている時も、悲しい気分で従ってますね。
それから、嬉しいなあと思うのは勿論情が喜ぶんですね。だから幸福ということも、情が幸福なんですね。そのほか情については、人は一日中絶えずなんらかの気分がしていますが、その気分っていうものは言葉では云えませんけど、しかしよくわかってますね。自分が今どんな気分かわからんという人はない。ただそれを言葉で云おうとしたら云えないだけ。
そんなふうに、情は総てまるで搔くということに例えますと、自分の身体を搔くようにかゆい所へ手が届きますね。しかし知や意というのは、どうもそんなふうにはいきませんね。靴の裏から足のかゆい所を掻いているようなもの。そんな感じですね。どうみてもそうなる。
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