岡潔 「情を語る」の解説
講演日 :1972年2月20日
於 奈良 岡家
横山 賢二
はじめに
前回は「情の発見」という文字通り岡が「情」を発見した、その記念すべき資料をお伝えしたのだが、如何だったでしょうか。岡がこの発見をしたのは1972年であるから、45年の長きにわたってこの「心の世界」の大発見は日本には知られず埋もれてきたのである。
1960年代あれほど東洋の仏教や儒教を肯定的に見ていた岡であるが、この2、3年前より次第に雲行きが変わり、その仏教や儒教の欠点の方に目が向くようになるのである。そして、それと並行して行われたのが、この「情の発見」だったのである。
一方、当時は左翼系の組合運動、学生運動が全盛を誇っていた時期であるが、それに対抗するに黒塗りの「街宣カー」に象徴される、いわゆる「右翼」が幅を利かせていた時代であった。この私も、その右翼と同じように「日本の伝統」を説く岡の思想に、一抹の不安を感じつつも岡を愛読していたのである。
しかし、今から思えばその両者の違いは明白であって、標語やスローガンなど「看板」は何であれ、右翼も左翼も「第1の心」の「意志と力」の思想の利己的、暴力的であることに変わりはなく、ことに右翼の主張と岡の説く「情の世界」とは、似て非なるものであったのである。否、似ているからこそ尚更始末に悪いと私は思う。
当時私は世間知らずの学生であり、まさかあの頃の良識ある知識人や著名人の多くが、このことに気づいていないとは夢にも思わなかったのである。というのも、彼等知識人は西洋輸入の「第1の心」の世界観にしがみつくのを進歩的だと錯覚し、「第1の心」のメガネでしか「日本文化」や「日本歴史」を見ることができなかったからである。
目 次(下の項目をクリックしてお読み下さい)
【1】 情とは何か
【2】 日本以外での道徳
【3】 真情の発見
【4】 仏教の真我、孔子の仁
【5】 西洋のソール(魂)
【6】 大和魂とは真情
【7】 儒教仏教の弊害
【8】 宣長はもう一息
【9】 今は日本人の自覚のとき
【10】 情を浄める
【11】 まごころ、まこと
【12】 バケツの中の水は情緒
【13】 真情は絶えず新しい
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