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2017.03.13up

岡潔講演録(25)


「情を語る」

【13】 真情は絶えず新しい

 そんなふうだから、情には時間も空間もありませんから、不安定な素粒子がそこから生まれてきてまた消えていっているその場所は時間も空間もないはず。それが情です。情が自分だということはこれをみても明らか。

 幼な子が内容に充ち充ちて如何にも生きているという感じがするのは、真情が絶えず新しく変わっていく、その働きを妨げる大脳前頭葉という、こういう無明が無いからだと思う。生き生きしているのは、絶えず真情が新しく送られてるからだと思う。それが真情であり、大和魂であり、道徳であり、幸福なんだと・・・。終ります。

 横井庄一さん、あれ、大和魂で生きていたんだと思うでしょう。そしてそれは何かって云ったら、真情だと思うでしょう。あれが大和魂だと思うでしょう。で、大和魂、大和魂って云ってたんだが、とうとう大和魂って何かわかった。大和魂とは軍国主義の言葉じゃない。大和魂なくして真の幸福は有り得ない。

(※解説13)

 岡が幼な子を理想とする理由がここにある。人は古来、不老不死や永遠の生命を求め続けてきた。しかし岡によれば、人は生まれては死に、死んではまた生まれてくるのである。だから不老不死である必要はないと私は思う。それよりも生きている間に「真情の世界」をいかに自覚するか。このことがむしろ「永遠の生命」を得ることに外ならないのである。

 「真情」は幼な子に見るように、絶えず新しい情緒が入れ変わっているのである。折角日本人に生まれてきたのだから、その瑞々しい世界を自覚せずに、ただ漫然と長生きをしても仕方がないではないか。

 岡がいうように「真情の世界」があるが故に、真の「道徳」があり真の「幸福」があるのである。岡はこれが日本人が古来持ち伝えてきた「日本の心」、つまり「大和魂」である、日本人の「忘れ物」はこれであると今も叫び続けているのである。

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