「情を語る」
【9】 今は日本人の自覚のとき
漱石なんか余計なこと「情に棹させば流される」っていうようなこと云うもんだから。あれ、漱石の云った言葉だから相当ひびいてます。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
って軽口云ってしまった。そんなこと、もう少し真面目になって、じゃ人はどう生きればよいのか。真情に生きればよい。で、情というものになかなか目がいかなかった。
大体、中国も仏教も知だと云ってますからね。そうしてるうちに非情に負けてしまって、終戦後アメリカの習慣を大量に受け入れて、日本人本来の面目は全く失われてしまった。近頃だんだん帰りつつありますが。
情を自分だと思ってる、これは日本だけ。東洋人は心を自分と思ってる。西洋人にいたっては情を自分でないと思ってる。そういうことをよく知って、情に他に真情がある、それが真の自分である、それが大和魂である。真情に従ごうのが道徳です。従って道徳なしに幸福というものは有り得ない。こういう根本、ここで一度よく自覚するのがよいと思います。
ここ1、2年来、これじゃいけない、何か大切なものを無くしたんじゃないかと思って、それを捜し求める方へ向いてきてるようだから、この機会に日本人は応神天皇以後自覚しなかった自覚というものをすべきだと思う。
応神天皇以前の生活はよい生活だったと思いますが、文献に残っていませんから証拠としてあげられません。非常によかっただろうと思う。ただ、ちっとも向上しようとはしなかっただろうと思う。大脳前頭葉も少しは使わなきゃいけないが、(笑いながら)使わなかったんだろうと思う。
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