b 岡潔講演録(25):【 8】 宣長はもう一息
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2017.03.13up

岡潔講演録(25)


「情を語る」

【8】 宣長はもう一息

 そして大体外国の教えがみな間違ってる。日本本来のもので なければいけない。儒教や仏教の云うところは間違ってる。それでそういうのは捨ててしまって、「漢意(からごころ)清く捨てらるべし」。からごころとは漢意(かんい)と書きます。漢意清く捨てらるべし。そこまで云ったのは宣長です。宣長、もう一息のところまで行ってますね。それから

 しきしまの大和心を人問わば
 朝日に匂ふ山桜花

って云ってるのからも、真情が大和心だと云ってるんですね。もう一息のところまでは行ってる。

 それで、明治維新というふうな時に、充分よく考えれば、それまでの誤りを取り去ることが出来たと思います。が、何しろ明治維新が起ったのは、ぐずぐずしてたら欧米人に滅ぼされてしもうというんで起こったんだから。欧米人と戦って滅びない為に、戦こう為に兵器がいる、それには大急ぎで西洋文明を取り入れなければというので取り入れてしまった。そして西洋文明だけにとどめず、西洋の思想を全般的に取り入れてしまった。その為せっかく気付きかけてたのが、またわからなくなっちまった。

(※解説8)

 ここは明治維新前後の国内情勢が、小学生でもわかるように説かれている。岡との対話録(岡潔集、第3巻)のある司馬遼太郎さんでも、このような歴史的大局観は持ち合わせていないのではないだろうか。そればかりか司馬さんの全集に、その岡との対談録が載っていないのは誠に不思議である。

 さて明治維新であるが、西洋列強の侵略をいかに喰い止めるかということで明治維新は成されたのだが、一方で西洋に対抗するため大急ぎで西洋文明を導入し、それに付随する「第1の心」の西洋思想をも全般的に取り入れてしまったというのである。

 それともう1つ明治維新と引きかえにしたものは、日本人の「自覚」である。宣長が折角「漢意清く捨てらるべし」といって儒教仏教を批判し、「日本の心」に戻れというところまで行ったのだが、西洋文明の導入に急ぐあまり気づきかけたその「自覚」もまたうやむやになってしまった。

 岡の説くように第10識「真情」が「日本の心」である。東洋の儒教や仏教は第9識、第8識であり、西洋に至っては第7識の文明である。だから日本は第10識「真情」を自覚すべき時である ー とまでは行かなくても、宣長は「漢意清く捨てらるべし」というところまで行ったのだから、もう一息だったと岡はいうのである。

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