(※解説11)
「真情が大和魂である」と岡は繰り返しいってきたのだが、ここでは言葉の問題を取り扱っている。西洋でいうソール(魂)が「情」であるという岡の指摘は私も「成程!」と思ったのだが、日本でいう「まごころ」や「まこと」も「真情」であるとは、これまた目から鱗である。
何年か前「勿体ない」という言葉が、海外でもてはやされて流行ったことがある。我々はそういわれて初めて、海外ではそういう概念自体があまりなかったのかと気づくのである。我々が日常的に使っている「まごころ」や「まこと」という概念も同様かも知れない。
我々は長い間の習慣から、舶来の文化に我が身を合わすことに汲々として、逆に日本にあるものは外国にもある筈だと決めてかかってきた節がある。しかし、そうでないかも知れない。更にそれは単に言葉だけの問題ではなく、岡の説くように「心の構造」の問題に帰着するのかも知れない。
ともかく岡がいっているように「世界の人は道徳とは何か知らんのです」、更にまた別のところでは「人類はいまだ野蛮なん!」というのだが、どうもそれが真実に近いのではないだろうか。
テレビで世界のニュースを見てもわかるように、我々日本人には想像もつかない理解不能な事件があまりにも多過ぎる。無意識的にも「情」を自分と思えることが、どれほど大切なことか私にはよくわかるのである。
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