「情の世界」
【17】 大宇宙の本体は情
真情は頭頂葉に発して後頭葉を経て、次は前頭葉へ出るというふうです。ここ(後頭葉)で遮断してしまう。真情の働きが意識に現われないんですね。
情の中には時間も空間もない。情というのは1つの分かつべからざる全体。情は無量の部分を持っている。部分と云いましても、やはり分かつべからざる全体。そういうものを無量に持っている。これが情の内容です。その部分を情緒と云う。先程云いました通り、2つの情は重ね合わすことが出来る。まあ、これが情です。
情の中には時間も空間もない。ところで、素粒子が忙しく運んでいるもの、バケツで水を運ぶように。その水に相当するものは情だと思う。で、大宇宙の実体は情だと思う。
ところで、情の中には空間がない。そうすると、空間のあるところへ影を映してみると、所としてあらざるなしということになると思う。それで各々の人の頭頂葉の中心が大宇宙の中心だと思う。これから絶えず情が湧き出てくる。全体に配られているんだと思います。これが生きているということだと思います。
その情というものを釈尊が知らなかったんだから、たいしてよくわかってない。知だと云っている。「心はなおし金剛の如く壊すべからず」と釈尊云ってますが、知だと思っているから。そうすると固体の感じがする。情と云えば液体の感じがする。液体だから境がない。大宇宙つくして自分です。
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